【仲田幸司コラム】巨人投手陣にナメられていた悔しい話

2021年10月28日 11時00分

1989年、斎藤の快進撃を止めたのは・・・(左は原)(東スポWeb)
1989年、斎藤の快進撃を止めたのは・・・(左は原)(東スポWeb)

【泥だらけのサウスポー Be Mike(25)】第2次村山監督時代1年目となった1988年は、自身初の開幕投手を任せていただきました。そして、89年には2年連続の開幕投手に。6年目の僕にはエースにと、期待していただいていたのが分かります。

 ですが、チームが低迷していたこともあり思うような結果を残せませんでした。何とか3年連続の最下位を免れることができましたが、5位という結果でした。
 僕自身、26試合に登板、17試合に先発し、4勝10敗、防御率4・66という成績でした。

 ただ、このシーズンでファンの皆さんによく言っていただくのは7月21日の巨人戦(甲子園)での完封勝利です。

 相手の先発は斎藤雅樹です。前年はリリーフに回っていましたが、巨人の監督が藤田元司さんになり、先発ローテに抜てきされ大ブレークしていました。

 5月10日の大洋戦から何と11試合連続完投勝利です(13勝1敗)。決して自分が気後れしたということはなかったですが強敵です。

 とにかく絶対、先に点をやらないぞという気持ちでマウンドに立っていました。調子が良かったのを覚えています。ゾーンに入るというかね。

 そのカードが前半戦最後の3連戦でした。僕が初戦を完封で勝利して、そのまま3タテを食らわせて、最高の形でオールスター休みとなりました。気持ちよく前半戦を終わることができました。

 今思うとナメられていたんだなと思うのですが、巨人といえば悔しい話が耳に入ってきていました。

 先発投手は大体中5日、中6日の登板間隔を空けて先発してきますが、巨人の投手陣は低迷している阪神戦であれば中4日でも志願登板していたそうです。

 虎の暗黒時代、巨人戦といえば斎藤、槙原、桑田の3本柱にやられたイメージがあります。チームとしては下位チームに取りこぼさないという作戦もあったかもしれません。でも、エース級3人が阪神戦に志願登板していたと聞くと、いい気分はしませんでしたね。

 でも、90年5月29日の巨人戦(甲子園)では斎藤に2安打、2併殺、無四球の打者27人で完封されるという記録も残っています。悔しいですが、カモにされていたのは事実ですね。

 当時の僕は好不調の波が激しかったですね。立ち上がりの1、2回をすんなりいければ7イニングから完投というのが大体のパターンでした。

 それをベンチも当然、分かっていました。なので僕が投げる時は初回からブルペンで控え投手が準備を始めるんです。

 普通は先発が序盤で崩れた場合に備え2、3人が待機して3回くらいから肩慣らしを始めるんですけどね。僕の時は最初から用意している。

 それも当時はブルペンが外にあったんですよ。右中間、左中間のラッキーゾーンの中です。左投手の僕の視界に右中間のブルペンが入ってくるわけです。

 準備しとくに越したことはないです。それは分かります。でも、調子がいいと思っているときにそれをやられると気分が悪いですよね。だから、甲子園アルプス席下の現在のブルペンで肩を作ってもらうようになりました。

 当時、僕が先発と分かっている時には、控え投手陣は前夜のお酒の量を控えていたらしいです(笑い)。

 ☆なかだ・こうじ 1964年6月16日、米国・ネバダ州生まれ。幼少時に沖縄に移住。米軍基地内の学校から那覇市内の小学校に転校後、小学2年で野球に出会う。興南高校で投手として3度、甲子園に出場。83年ドラフト3位で阪神入団。92年は14勝でエースとして活躍。95年オフにFA権を行使しロッテに移籍。97年限りで現役を引退した。引退後は関西を中心に評論家、タレントとして活動。2010年から山河企画に勤務の傍ら、社会人野球京都ジャスティス投手コーチを務める。NPB通算57勝99敗4セーブ、防御率4.06。

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