松坂大輔投手の引退に西武OBで同世代のヤクルト・小野寺力二軍投手コーチ(40)がねぎらいの言葉を贈った。

 松坂がエースとして君臨した第1期西武時代(1999~2006年)に中継ぎ、抑えとしてブルペンを支えた小野寺コーチ。ヤクルトのコーチとなって5年目の今季は二軍でリハビリに苦しむ松坂にエールを送っていたという。

「最後に投げているところを見たのは夏前ぐらいですかね。二軍戦でカーミニークに行った日があって大輔がブルペンで投げるというので個人的に見に行きました。その時は普通に投げていたので、ここまで戻って来たんだという感じだった。こちらも試合があったので、後から携帯に電話をしたら遠くから手を振ってましたね。一番苦しかったのは本人ですし寂しいですけどしょうがない」

 こう言う小野寺コーチは松坂との最後の思い出を振り返った。現役時代、リアルタイムで松坂のすごさを実感してきた同コーチにとって、胸に残るのはブルペン陣にとっては精神的、肉体的に救われた週一度の松坂先発登板日だという。

「ここぞという試合で結果を出すことはもちろん、大輔には先発した試合ではマウンドを絶対に降りないという気概があった。だから大輔の登板日は本当に休養日でした。ブルペンで(肩を)つくらないピッチャーが多かった。そんな中でもシーズンの終盤に何度か『今日は悪い!』といって、事前に完投回避を予告してくることがありました。おそらく疲れが相当たまっていたんでしょう。珍しいことだったのでよく覚えています」

 投手の分業化が進み、肩、ヒジは消耗品というメジャーの考え方も定着した近代野球で松坂ほど完投、投げることにこだわり続けた投手もいない。

「もちろん選手のケガを防ぐことが最優先ですけど、投げないと覚えないというのはどの時代も一緒だと思うんですよ。そういう感覚のある投手はいいんですけど、僕らのような感覚のない多くの投手はやっぱり投げてその感覚をつかまないといけない。その点で大輔は“投げないといられない投手”だった。いつも試行錯誤しながら何か新しいものを探していましたね」

 今後に関しては「まずゆっくり休んでもらいたい。(米国の)家族とも離れ離れの時間が長かったですから。そして英気を養ったら、指導者としてもう一度ユニホームを着てもらいたい。大輔は一流のピッチャーとしての経験もあるしケガの苦労もしている。いい時も悪い時も知っているから選手に寄り添えるいいコーチになると思いますよ。性格的にも偉ぶらないし、話しかけやすい本当にいい指導者になれると思う」と、再びユニホームに身を包む“平成の怪物”の姿を心待ちにしている。