ヤクルト・高津監督 VS 阪神・矢野監督が再び神宮で大一番 31年前の「因縁」を虎OB回顧

2021年10月08日 05時15分

ヤクルト・高津監督(左)と阪神・矢野監督
ヤクルト・高津監督(左)と阪神・矢野監督

 セ・リーグ首位のヤクルトが7日の巨人戦(神宮)に1―0でサヨナラ勝ち。2位の阪神はDeNA戦(横浜)を3―4で落として連勝は5でストップし、両軍はゲーム差「2」で8日からの首位攻防「天王山」3連戦(神宮)を迎えることになった。優勝争いは完全にこの2球団によるマッチレースの様相となってきたが、ヤクルト・高津臣吾監督(52)と阪神・矢野燿大監督(52)の「神宮決戦」といえば、思い起こされるのが31年前。それぞれ2人の同僚でもあった球界OBが当時を述懐した。

 高津監督と矢野監督は、現役時代から同学年プレーヤーとして長くしのぎを削ってきた。そんな同世代の選手たちで「伝説の一戦」と語り継がれるのが、今から31年前の1990年6月12日、神宮球場で行われた全日本大学選手権・亜大 vs 東北福祉大の決勝戦だ。

 この試合のスタメンに東北福祉大は「1番・遊撃」浜名千広(ダイエー)、「3番・捕手」として主将の矢野、「5番・左翼」金本知憲(前阪神監督)、「9番・投手」小坂勝仁(ヤクルト)と、そうそうたるメンバーをそろえ出陣した。

 一方の亜大は同年のドラフト会議で8球団から1位指名されるも、交渉権を獲得したロッテへの入団を拒否し、社会人を経て後に近鉄へ進んだ左腕・小池秀郎が先発マウンドへ。ブルペンでは2番手投手の高津、3番手投手の川尻哲郎(阪神)が出番を待っていた。

 後に阪神で矢野とバッテリーを組み、98年5月26日の中日戦(倉敷)でノーヒットノーランを達成した川尻氏が、当時を述懐する。

「あの時の小池は絶対的なエースだったからね。俺も高津も『出番はないだろうな』と思いながらブルペンから試合を見ていたよ。正直言って学生時代の矢野には何一つ印象や思い出はないんだ。小池が抑えまくっているイメージしかなかったからね。話をするようになったのは、矢野が(トレードで中日から)阪神に来てから。矢野は当時から打てる捕手だったからね。俺はバッティングのいいキャッチャーを信用するんだ。打撃技術のある捕手は、勝負どころの配球で経験や勘がさえる」

 両校の決勝戦は小池の力投もあり2―1で亜大が勝利した。東京・新橋で川尻氏が現在営む居酒屋には、同大会の亜大の優勝写真パネルが今も展示してある。31年の時を経て色あせつつある写真を眺めながら、川尻氏は「俺も高津も矢野もあのころは21、22歳。31年後になってあの2人が監督としてプロの舞台で優勝をかけ争うなんて、まるで予想できなかったよ。矢野もあの時の悔しさは今でも相当残っているだろうしね。プロに行ってから矢野が高津からサヨナラヒットを打ったのは覚えているよ(笑い)」としみじみ語った。

 矢野監督と高津監督の「絶対に負けられない戦い」。その舞台はまたも神宮の杜だ。

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