当時の球団GMが回顧 日本ハム・斎藤佑樹「1位指名の真相」と「入団後の苦悩」

2021年10月02日 10時00分

2010年、斎藤(左)に指名あいさつした山田GM(東スポWeb)
2010年、斎藤(左)に指名あいさつした山田GM(東スポWeb)

 現役引退を発表した日本ハム・斎藤佑樹投手(33)の入団当時、球団GM職にあった日本ハム・山田正雄スカウト顧問(77)が、ドラフト指名に至るまでの思い出から苦悩のプロ11年間を振り返り、第二の人生にエールを送った。

 山田顧問はまず2010年ドラフトについて「あの時は早大・大石(現西武二軍投手コーチ)、斎藤、仏教大・大野(現中日)と3人の1位候補がいた。大野は肩を痛めているということだったので、ドラフトの直前に東伏見の早大グラウンドへ大石と斎藤を見に行った」と切り出した。

「ちょうど大石と斎藤が並んでブルペンに入っていたんですよ。速さでいえば大石だったが、最終的にはあのスター性がチームに必要だと思った。力的にはどうなのか、ということを周りには言われたけれども、ウチは当時エースだったダルビッシュが抜ける可能性があった。ファンの気持ちを今まで以上に北海道に持ってこないといけなかった」

 そう斎藤1位指名決断までの経緯を語った。

 ヤクルト、ロッテ、ソフトバンクとの競合の末、日本ハムが交渉権を獲得し、大きなファンの期待を背負ってのプロ生活がスタート。しかし、華々しかったアマチュア時代の活躍から一転して、ここからの野球人生は苦悩の道となった。

 山田顧問が続ける。

「1年目に6勝(6敗)を挙げ、栗山監督が就任した(5勝した)2年目には開幕投手に抜擢されるまで頑張ってくれていた。獲得したこちら側としてはエースとまではいかなくても、安定的にローテーションを守ってくれる投手になってほしいという期待はあった。ただ、3年目に肩(右肩関節唇)を故障したのが誤算だった。野球選手にケガはつき物だけれど、あれがなければもう少しやれただろうし、本人も無念だったと思う」

 その後の斎藤は故障と不振を繰り返しながら1、2年目の数字を超えることなく通算15勝26敗、防御率4・34という成績でプロ野球人生に幕を下した。

 山田顧問は「やっぱりリハビリにも苦しんでいたし、故障というのは選手にとって一番つらいこと。会えば本人はいたって明るい表情で(苦悩を)表面には出さなかった。そういう面ではのんびりしていたというか、こちらを心配させないように振る舞っていたんじゃないかな」という。

 その上で同顧問は斎藤の今後について「佑ちゃんはなんでもやっていけると思います。マスコミに行っても他の仕事に行っても十分やっていけると思う。もちろん両親や周囲の信頼している人と相談をしながら、最終的には本人が決めることだけども、個人的には人前に出ていく仕事が一番いいんじゃないかと思う」とエールを送っていた。

関連タグ:

ピックアップ