【泥だらけのサウスポー Be Mike(9)】高校2年生の夏、僕はエースとして沖縄県大会を投げ抜き甲子園出場を決めました。高校野球の聖地です。それはもううれしいに決まっています。

 僕がプロ入り後にお世話になった阪神タイガースの本拠地であることはもちろん知っていました。でも、行ったこともなければテレビでしか見たことのない場所です。

 関西や地元の西宮の人からすれば生活の風景の一部かもしれませんが、僕らからしたら大ごとですよ。

 沖縄から出てきて大会の1週間くらい前に現地に入ります。まだ、甲子園の中には入れてない状態ですよ。チームのバスが甲子園の前を通るだけで興奮しましたね。

 信号待ちをすると電信柱に「甲子園〇〇番町」って表示を見つけるじゃないですか。もう、本当にね、その字ヅラを見るだけで鳥肌が立ちましたから。

 ついに甲子園練習で球場の中に入った時には、しばらくぼうぜんでした。少し掘り下げた細長い通路から、ベンチへ抜けると一気にグラウンドの黒土、緑の芝生、青空と景色が広がるんです。

 余談ですが、兵庫県大会でも甲子園を使用するんだと聞いたときにはショックでしたね。

 練習でそれですから、本番ではもっと大変でした。本当にもう足も震えましたし、身震いするというのはこういうことなんだと体感しました。ホンマの野球の戦いの場に来たんだという、そんな感じを受けました。

 でも、中身は高校生です。まず、グラウンドに出て何をしたかというと、グラブに甲子園の黒土をすり込むことでした。沖縄のグラウンドは当時、赤土がほとんどでした。

 なので、あこがれもありますから、グラブにオイルを塗ってすり込んで、沖縄に帰った時に黒いグラブを見せつけるんです。俺らは甲子園に出たんだぞ、お前らとは違うんやぞって具合です。

 初めての甲子園では1回戦が明野(三重)で8四死球ながら完投勝利。2回戦は熊谷(埼玉)に無四球完投で勝利しました。そして3回戦では広島商に2―4で敗れました。2安打しか打たれてないのに、四球絡みでうまく点を取られました。

 覚えていることはアルプス席の広島商の応援で、しゃもじを打ち鳴らす音がうるさかったことですね。沖縄県も指笛と「ハイサイおじさん」ばかり、うるさいなあと思われていたんでしょうけどね。

 広島商の戦い方は独特でしたね。学校の方針なんでしょうけど、打ってもガッツポーズも何もしないんです。淡々とプレーする。僕はそれを見ていて心が騒ぐわけですよ。「俺から打ったんやぞ。もっと喜べ」ってね。

 初めての甲子園を経験して思ったことがあります。普通は出るだけでも喜んでいいと思うんです。でも、僕にはやっぱり負けた悔しさがずっと残っていました。もう一回、甲子園に絶対に帰ってきてやると強く思いました。

 県大会ではなく甲子園が本当に野球をする場所。県大会は通過点であり、甲子園で勝つことしか頭になかった。調子に乗っていると言われるかもしれませんが、本当にそんな感じでした。

 井の中の蛙ではないですが、全国に出て初めて戦いの場に出たと強く感じられたんです。甲子園に出た喜びより、もっと勝たないといけないという気持ちが起こりました。

 そう思うと、さらに練習に身が入りました。本当の意味で精進しました。甲子園で勝ちたいという思いが向上心の原動力になりました。

 ☆なかだ・こうじ 1964年6月16日、米国・ネバダ州生まれ。幼少時に沖縄に移住。米軍基地内の学校から那覇市内の小学校に転校後、小学2年で野球に出会う。興南高校で投手として3度、甲子園に出場。83年ドラフト3位で阪神入団。92年は14勝でエースとして活躍。95年オフにFA権を行使しロッテに移籍。97年限りで現役を引退した。引退後は関西を中心に評論家、タレントとして活動。2010年から山河企画に勤務の傍ら、社会人野球京都ジャスティス投手コーチを務める。NPB通算57勝99敗4セーブ、防御率4.06。