捕手に厳しいのはVの厳しさを知るからこそだ。14日、首位の阪神は3位・ヤクルトに4―4で引き分けた。3点を追った最終回にジェフリー・マルテ内野手(30)の劇的3ランでドロー決着。2位・巨人が負け、自軍は土俵際で踏ん張った。その一方、シーズンが佳境に進むにつれ指揮官のより厳しい「視線」が向くのは、自らの現役時のポジションでもあった扇の要。正捕手・梅野隆太郎(30)へのゲキは、野村・星野という2人の名将の薫陶を受けた指揮官ならではものだ。

 優勝争いが佳境に入った9月以降、矢野監督の梅野に対する〝風当たり〟が強まっている。基本的に梅野が阪神の正捕手であることに変わりはない。ただ、後半戦26試合のうち3試合にこれまで控えだった坂本をスタメン起用。梅野は球宴前の前半戦84試合中82試合で先発と不動の存在だっただけに、8月下旬以降、週一ペースを上回るペースで坂本が捕手に起用され出すと、他球団関係者からは「何かあった?」と体調面の不安もささやかれている。

 起用法だけではなく、コメントも厳しさを増している。先発陣にも疲れが目立ちはじめ、序盤で失点する場面が増えてくると「ダメ出し」の矛先も梅野へ向けたものが数多くなった。

 五輪での金メダル獲得に貢献した青柳との代表コンビで臨んだ7日のヤクルト戦では、序盤3回までに5失点すると「バッテリーも少し工夫してくれないと…」。その7日からの3連戦では、投手陣は3戦28失点の炎上。リターンマッチとなる今回の2連戦前には「ピッチャーだけでは抑えられないんで、やっぱり(捕手が)どう引っ張っていくかが大事」と、虎の正捕手への〝猛ゲキ〟は続いた。

 もちろん指揮官は憎くて苦言を放っているわけではない。指揮官のことを現役の中日時代から知る同年代のチーム関係者は「優勝するチームには必ず『監督の分身』とも言えるぐらいの強力なリーダーシップを取れる捕手がいるもの、という考えが根付いているからだと思うよ」と説明する。それは矢野監督自身の現役時代の捕手キャリアが強く影響したものといえる。

「中日のときはまだ若手の2番手捕手で、ベンチから見る試合が多かったと思うけど、その当時の監督が、まだ若かった時代の星野さん(仙一監督・故人)。当時・正捕手で1学年上の中村武志(現中日一軍バッテリーコーチ)さんに蹴り飛ばされているのを何度も見てきただろうし。なかには捕手にだけ(責任を求める)という〝理不尽〟もあったと思う」(同関係者)。

 控え捕手の時間が長かった中日時代、捕手はチームのあらゆる事象の矢面に立てるか否かを感じてきたことに加え、阪神移籍後も常に自らの座を脅かす〝陰のライバル〟の存在を感じつつ、虎の正妻を務めてきた。

「星野さんが阪神に来た最初の年(2002年)にたしか、少し年下の野口(寿浩氏・野球評論家)が日本ハムからトレードで来て。もうその時点で、完璧に野口も出来上がっていた。ヤクルト時代は古田のライバルだったわけだし。要は常にウカウカできない環境でやってきて、それがあったから、ある意味、自分が選手として長くやれたというのもあるんじゃない?」(同関係者)

 矢野監督は1998年に中日から阪神へ移籍。翌9年から01年までの3年間は野村克也監督(故人)にみっちりと鍛え上げられた。闘将イズムと名将の帝王学を兼ね備える指揮官だけに、梅野への要求は厳しくなって当然だ。

 今季のV達成だけではなく「黄金時代」を築く正捕手に――。梅野への厳しい〝正妻教育〟の真意はそんなところにありそうだ。