【楊枝秀基のワッショイ!スポーツ見聞録】2002年の年始だった。新年初出社するとデスクから年賀状の束を手渡された。その中に達筆とはいえないが、丁寧に書いてくれたであろう1枚の西武ロゴ入りハガキが含まれていた。

 手書きで「入団会見の時には記事を書いていただいてありがとうございました。両親が喜んでくれました」と書かれていた。

 送り主は若かりし日の巧打者。2000安打まであと2本に迫った西武・栗山巧外野手(38)だった。01年のドラフト4巡目で指名され当時はまだ兵庫・育英高在学中。僕と同じ神戸出身ということもあり、短い記事を書かせてもらったことにお礼をしてくれたのだ。

 律義な選手だな。そう思うと気になってしまう。西武第二球場での二軍練習を取材する際には自然とその姿を探した。入団直後はプロの投手のレベルの高さに苦労していたようが、見る見るうちに適応していった。

 当時の栗山は「毎日、必死にやってるだけですよ。プロの変化球なんてゆっくり目で追えないし、これぐらい曲がるんやって、大体わかったら、もうその軌道に向かってバットを思い切り振るだけ。当たらんかったらごめんなさい」と初々しく話していた。

 その将来性を当時の西武・田辺徳雄二軍打撃コーチ(のちに監督)に問うと「何年かしてみてろよ。必ずレギュラーになってるから。俺がそう言っていたと書いていいぞ」と豪快に予言され、本当にそうなった。

 あれから20年が経過する。現在はコロナ禍でグラウンドで顔を合わせることもままならないが、現場では変わらず声を掛けてくれていた。「今日もまた、派手なジーパン履いてますねえ」。関西弁で突っ込まれると、同じ神戸人としてうれしくなる。

 9月3日は栗山にとって38歳の誕生日だ。西武は楽天生命パークでの楽天戦に臨む。バースデー2000安打となると史上初とのこと。仙台へは行けないが、モニターから栗山の打席をしっかり見届けさせてもらうこととする。

☆ようじ・ひでき 1973年生まれ。神戸市出身。関西学院大卒。98年から「デイリースポーツ」で巨人、ヤクルト、西武、近鉄、阪神、オリックスと番記者を歴任。2013年からフリー。著書は「阪神タイガースのすべらない話」(フォレスト出版)。21年4月にユーチューブ「楊枝秀基のYO―チャンネル!」を開設。