【デスクの目】「巨人だけはないだろう」。暴力行為により放出がささやかれていた日本ハム・中田翔の移籍先については、そう決めつけていた。かつての巨人を取材した人たちほど、その思いが強いはず。それだけに「原監督には一杯、食わされた」というのが率直な感想で、いい意味で想像を裏切られ〝ワクワク感〟が止まらない。

「巨人軍は紳士たれ」。そんな球団訓に相容れない選手はことごとく追い出され、金髪やひげなど、イメージだけで「巨人に合わない」と判断された他球団の選手は獲得を見送られてきた。コンプライアンス重視の今の時代ならなおさら。ただ、そんな〝巨人の常識〟を原監督はまたしてもぶっ壊した。

 球団OBやファンの間からは、普通に「巨人にはふさわしくない」「何で獲るんだ」という意見が多数、出てくるだろう。もちろん、読売本社内にもそうした意見は当然、あったはず。しかし、原監督はそういう声が出ることをすべて承知の上で「あえて」中田を獲得した。巨人の古い慣習を今の時代に即したものに変えていく…。野手の投手起用や、セDH制を訴えたのもしかり。固定観念にとらわれたくない、という思いが強いのだろう。

 あれは原監督が「ジャイアンツ愛」をしきりに口にした、1度目の監督のときのことだ。唐突に「温故知新という言葉を知ってるか?」と聞かれたことがある。当時は「古い伝統を大事にしながら、新しいものをつくっていかないといけないんだよ」と熱く語っていたものだが、あのころは球団フロントや読売本社の意向に反することは、なかなか実行できないというジレンマがあった。

 しかし、あれから19年、立場は大きく変わった。今回の一件では、原監督の力が巨人の中で、それだけ巨大なものになっていることをあらためて感じたのと同時に、これからは「巨人だから」という概念を捨てないと、痛い目にあうことを肝に銘じないといけないとも思った。

「原監督のことだから、何をやってくるかわからないぞ」。そんな巨人の野球、プロ野球は、もっと面白くなってくるだろう。それでも「原さん、派手にぶち壊しすぎですよ!」という思いも、ちょっとはしている。

(運動部デスク・溝口拓也)