【赤坂英一 赤ペン!! 】暴行事件で無期限出場停止処分が下った日本ハム・中田翔内野手(32)に、球団や首脳陣の教育失敗を指摘する声がしきりだ。それでは、この際、中田を心理療法の専門家に預け、徹底的にメンタルを再チェックしてはどうだろうか。

 今季、打撃不振の中田は声を荒らげたりバットを折ったり、転倒して顔に青アザを作ったりした揚げ句に二軍落ち。その頃から、精神的に不安定な状態にあると見られていた。そこで思い出したのが10年前、中田にインタビューした時のこと。

 中田は入団当時、報道陣に尊大な態度で放言を繰り返した。太り気味だと指摘されて「動けるデブになったらええんでしょう」と答えたのが最たる例だ。あのコメントの真意を聞いたら、中田は神妙にこう言った。

「ホンマ、アホみたいなことばかり言うてましたね。実は、僕はあの頃、すごい戸惑ってたんですよ。毎日が戸惑いの連続というか。何か言ったら大きく書かれるし、よく清原(和博)さんと比べられるし、ずっと野球と違うところで騒がれてたから。正直、カチンときて、イライラすることも結構ありましたんで」

 そんないら立ちや戸惑いを、後先を考えずに吐き出してしまうのが当時の中田だった。二軍の試合でもむらっ気が出て、お粗末なプレーをすることがよくあったという。

「ぶざまな負け方やらみっともない試合をいっぱいやってました。1打席目にバット振って、当たったら飛んでいくじゃないですか。それで、ホームランになったらすぐ気が抜けるというか、2打席目以降はもうええわって感じになってしまって、しょうもない球を引っかけて内野ゴロにしたり、三振してしまったり」

 中田は何かと“やらかしてしまう”性格だったが、反省する能力もないわけではない。そんな彼を、当時の水上善雄二軍監督は実に根気よく指導していた。鎌ケ谷の監督室に呼び出し、こう懇々と諭したことがある。

「おまえがやる気のないスイングをしたら、お客さんはため息ついて帰るだけだ。しかし、全力でフルスイングをしたら、たとえ空振り三振でも、すごい、当たったらどこまで飛ぶんだろう、次の試合も見に来たい、とお客さんは思う。それが、プロの仕事なんだよ」

 かつての中田は、そうした教育によってモチベーションを上げ、一軍の主砲になったのだ。32歳はまだ若い。今回の事件を機に二軍時代の原点に立ち返り、メンタルの再強化を図って再出発してくれればいいのだが。

☆あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」「プロ野球二軍監督」「プロ野球第二の人生」(講談社)などノンフィクション作品電子書籍版が好評発売中。「失われた甲子園 記憶をなくしたエースと1989年の球児たち」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。ほかに「すごい!広島カープ」「2番打者論」(PHP研究所)など。日本文藝家協会会員。