【無心の内角攻戦(11)】1989年の近鉄は2年越しの悲願を成し遂げました。でも巨人との日本シリーズはまさかの3連勝から4連敗…。これも近鉄らしいと言えばらしいですよね。あの2年間は僕のプロ野球人生の中で一番の財産だし、あれ以上の緊張感はない。苦しい時があっても「あの時と比べたらマシや」と思えるようになりましたもん。勝った負けた、1球で左右される戦いを2年続けてできた。そんな経験できてる選手っていないでしょ。僕は22歳でそれを経験して胸に焼き付いていますし、そこから36歳まで現役やりましたけど、あれだけの熱い日々はない。人生が凝縮されていましたね。

 1位じゃないとダメ、2位も6位も同じ。そんな戦いは今はない。毎日、何が起きるかわからない。しんどいけど、やってて面白かったし、ワクワクしながら野球ができた。3三振後にサヨナラ本塁打のブライアント、金村義明さん、鈴木貴久さんと個性的な野手陣がいて、投手陣も普段はバラバラでも勝負になると同じ方をカチッと向く。開幕とシーズン終盤では全然雰囲気が違って、おっさんたちが学生みたいに熱くなっている。一つになるというのはこういうことか、と。今でもメンバー集まれと言ったら集まりますもん。

 それを近鉄球団がオフに全部すっ飛ばしてくれました(笑い)。優勝旅行はハワイだったんですけど、球団持ちは本人と家族同行者1人だけで、子供は自腹ですよ。行かない選手には二十数万渡しただけでした。優勝ってこんないいもんや、ってまったくならんかった(笑い)。セコくてみんなひっくり返った。あり得なかったですよ。

 功労金も上限の人が100万円で、そこから源泉されるんですよ。西武なんか功労金1人300万ずつとか聞いてたからどんだけもらえるのかと思っていたら…。身を削ってあれだけの試合やってきてこれか、と…。もうがっくり。あれでみんなのテンション落ちました。前回優勝時(80年)のをそのままやったんちゃうかって(笑い)。時代が違います。西武とかチャーター機やとか、家族全員とかなのに、こっちは本人と家族1人で、しかもグループ会社の近畿日本ツーリストのパック旅行ですよ。バスに乗って島内観光でバナナ園とかカメハメハ大王のとこに連れていかれましたもん(笑い)。

 帰国して他球団の選手にグチったら「それはない」ってみんな言ってましたね。次の年から優勝争いはしても、そこまでの熱はなくなってしまいました。優勝しても「またあれちゃうん?」みたいな。ニンジンじゃないけど、来年も頑張ろうっていう気にさせてほしかった。優勝したら給料とか旅行とかカネがかかるでしょう。もしかしたら近鉄という球団は、強くても優勝まではしない方がいいと思っているのかも、と思いましたね(笑い)。

 いろんな面でオモロイ球団ですよ。

 ☆やまさき・しんたろう 1966年5月19日生まれ。和歌山県新宮市出身。新宮高から84年のドラフト3位で近鉄入団。87年に一軍初登板初勝利。88年はローテ入りして13勝をマーク。10月18日のロッテ戦に勝利し「10・19」に望みをつないだ。翌89年も9勝してリーグ優勝に貢献。95年には開幕投手を務めて近鉄の実質エースとなり、10勝をマークした。98年にダイエーにFA移籍。広島、オリックスと渡り歩き、2002年を最後に引退した。その後は天理大学、天理高校の臨時コーチや少年野球の指導にあたり、スポーツ専門チャンネル「Jスポーツ」の解説も務めている。