突然の訃報に中日が深い悲しみに包まれた。球団は6日、木下雄介投手が3日に死去したことを発表。享年27。7月6日にナゴヤ球場での練習中に倒れ、名古屋市内の病院に入院していたが、帰らぬ人となった。死因は明らかにされていない。

「謙虚で真面目で誰からも好かれる性格。本当に残念です」

 木下雄をよく知る関係者は声を震わせたが、誰もがその努力を認める苦労人だった。

 大学1年のときに右ヒジを故障し、一時は野球から離れた。それでもプロへの夢をあきらめきれず、四国アイランドリーグの徳島インディゴソックスでプレー。2016年の育成ドラフト1位で中日に指名され、夢をかなえた。支度金は200万円で年俸は300万円(推定)。入団したときにはすでに結婚していたが、1年目はドラゴンズの独身寮「昇竜館」で生活し、2年目から妻子を名古屋へ呼び寄せた。

 練習が行われる日にはナゴヤ球場の駐車場には選手の所有する高級車がズラリと並ぶが、木下雄はいつも自転車で通勤。遠征のときには奥さんが自動車で送り迎えをしていた。

 2年目の2018年3月に支配下登録。150キロを超える速球に落差のあるフォークが武器で20年には初セーブを記録した。5年目となる今季は与田監督の期待も大きく、R・マルティネスが五輪予選で不在になったときの抑え候補にもなっていた。

 木下雄も今季にかける思いは強く、2月28日の楽天との練習試合(北谷)前には関係者に頼んで、まったく面識のなかった楽天・田中将にスプリットの握りや投げ方などのアドバイスを直接受けた。「握り方や投げるときの感覚も教えていただきました。聞きたいことは全部質問しました。本当にありがたいです」とマー君塾で得たものを自身の飛躍に生かすつもりだったのだが、3月21日の日本ハムとのオープン戦で右肩を脱臼し、今季絶望。それでも不屈の苦労人は4月に右肩と右ヒジの手術を受け、来季の復活を目指してリハビリを続けていた。

「育成から支配下登録となったときには、みんなが『よかったな』と言っていた。木下雄が真面目に努力していたのをわかっていたから。これからが本当に花開く時期だったのに…」(球団事情に詳しい関係者)

 誰もが早すぎる死に衝撃を受けている。