【加藤伸一連載コラム】両親の前で“乱闘劇” 試合後には母親から説教も

2021年07月21日 11時00分

両親の前でまさかの退場処分に。左奥が筆者
両親の前でまさかの退場処分に。左奥が筆者

【酷道89号~山あり谷ありの野球路~(42)】近鉄に移籍した2002年はオフから順調にきていました。オリックス時代に面倒を見てきた戎信行と熊本県水俣市で行った合同自主トレで体づくりに専念し、宮崎県日向市での春季キャンプではマイペース調整。3月7日の広島とのオープン戦に登板できたのだから例年以上に状態も良かったと言えるでしょう。

 梨田昌孝監督に託されたのは開幕カードの古巣オリックスとの2連戦ではなく、2カード目の西武戦の初戦でした。連覇を狙う近鉄は開幕2連勝と好スタート。FAで加入した僕が期待通りの投球をしていれば、一気に加速していたかもしれません。しかし、そうはいきませんでした。

 記録上はカブレラに2本塁打を食らって2回途中6失点KOですが、実際には初回の時点で終わっていました。右ヒジから「バチーン」という音がして、ロックしてしまったからです。何とかだましだまし調整して中6日で臨んだダイエー戦では6回途中2失点の投球をしましたが、右ヒジは顔も洗えないほど痛く、限界だったのです。試合後には宿舎の監督室を訪ねて事情を説明。出場選手登録を抹消してもらいました。

 その後は6月まで藤井寺球場に通ってリハビリを続けましたが、思ったようなボールを投げられない状態が続きました。病院で検査を受けたら医師は「右ヒジに遊離軟骨が10個ぐらいある」と。普通なら早めに手術して翌年に備えるのがベストですが、僕は近鉄球団初のFAで加入した選手です。V2を目指す現場もフロントも「はい、そうですか」と簡単には首を縦に振ってくれません。

 もちろん僕だって手術せずに済むなら、そうしたかったです。マッサージやハリをはじめとしたあらゆる治療も試してみました。それでも右ヒジにすみ着いた“10匹のネズミ”は悪さを続けて言うことを聞いてくれません。現場とフロントの板挟みになった僕に手術のゴーサインが出たのは7月に入ってからでした。

 移籍後初勝利を挙げたのは翌03年4月27日の日本ハム戦。故障に泣かされ続けてきた僕の白星は「●日ぶり」と称されることが多く、この時は573日ぶりでした。03年でもう一つ忘れられないのが6月10日のオリックス戦での退場劇です。本塁のベースカバーに入った際、楽々アウトのタイミングで走者のブラウンに肩でタックルされて思わずカッとなって…。

 繰り出した左ジャブは空を切ったものの、両軍ベンチ総出の事態となって2人とも退場。この日はたまたま鳥取在住の両親と兄を球場に招待していて、試合後に家族水入らずですし屋に行ったのですが、母親に「お母さん、恥ずかしかったわ」と怒られるなど踏んだり蹴ったり。しかもこの試合が両親にとって最後の生観戦になるなんて…寂しすぎますよね。

 ☆かとう・しんいち 1965年7月19日生まれ。鳥取県出身。不祥事の絶えなかった倉吉北高から84年にドラフト1位で南海入団。1年目に先発と救援で5勝し、2年目は9勝で球宴出場も。ダイエー初年度の89年に自己最多12勝。ヒジや肩の故障に悩まされ、95年オフに戦力外となり広島移籍。96年は9勝でカムバック賞。8勝した98年オフに若返りのチーム方針で2度目の自由契約に。99年からオリックスでプレーし、2001年オフにFAで近鉄へ。04年限りで現役引退。ソフトバンクの一、二軍投手コーチやフロント業務を経て現在は社会人・九州三菱自動車で投手コーチ。本紙評論家。通算成績は350試合で92勝106敗12セーブ。

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