プロ野球の中日、日本ハムで通算2204安打を放つなど活躍し、日本ハムの監督も務めた野球評論家・大島康徳さん(享年70)が6月30日に大腸がんのため亡くなったことを受け、現役時代に中日で11年間にわたり同僚だった本紙評論家の宇野勝氏(63)がしのんだ。

 大島さんは2016年10月に「ステージ4」の大腸がんと肝臓への転移で手術を受けたことを翌17年2月に自身のブログで告白。「余命1年」を宣告されながらも抗がん治療を続け、自らを「不真面目ながん患者」と表現し、ブログで元気な様子を投稿していた。

 宇野氏は「大島さんと最後に会ったのは昨年2月の沖縄キャンプ。そのときは本当に元気そうで普通にたばこを吸っていたから大丈夫かなと驚いたけど『大丈夫、大丈夫』と笑っていた。最近は6月12日の大リーグ中継を解説しているところを見て、声がかなりかすれていたので心配はしていたが、まさかお亡くなりになるなんて…」と動揺を隠せなかった。

 現役時代の思い出として宇野氏は「正直、最初はおっかない印象しかなかったけど、優しかった。(宇野氏が)プロ3年目のときに宮崎の串間キャンプで大島さんと同部屋になったことがきっかけで、それからよく食事や飲みに連れて行ったりしてもらえるようになって、本当にいろいろと面倒をみてもらった。私は酒は弱いけど、大島さんはすごく強くて豪快に飲まれていて最後までお付き合いするのは大変なところもあったけどね。ただ、上下関係とか、規律には厳しい先輩だったので、何度か?られたこともあったが、それも全部いい思い出だね」と、しみじみと語る。

 大島さんは中日から1987年オフに日本ハムへトレード移籍すると、その後、宇野氏は92年オフに立浪和義、種田仁らとのレギュラー争いに敗れ、オフに長嶋清幸とともにロッテへトレード移籍。宇野氏は「大島さんは日本ハムでも主力としてバリバリ活躍していたが、俺は試合にもほとんど出られなかった。同じパ・リーグで、すねていた私を大島さんは気を使って中日時代のようにまた食事に連れていってくれた。本当にお世話になった方。心よりご冥福をお祈りします」と悼んだ。