【加藤伸一連載コラム】998日ぶり白星にも涙はなし! ゴールではなくスタートだ

2021年07月01日 11時00分

右肩手術を乗り越え、998日ぶりに白星を手にした
右肩手術を乗り越え、998日ぶりに白星を手にした

【酷道89号~山あり谷ありの野球路~(31)】出口の見えない「リハビリ」という名のトンネルに光明が差したのは、1992年7月の右肩手術から約2年、94年の春季キャンプ終盤でした。

 この年は根本陸夫監督の方針で同僚の渡辺智男とともに1月末から徳島県内にある気功の治療院に送り込まれ、高知市営球場でキャンプを行っていた本体に合流したのは2月7日のこと。根本監督には「治るまで来んでいい」と言われていましたが、ユニホームを着ることなく2月を過ごすのはとても不安で、つい「良くなりました」とうそをついて徳島を飛び出してきてしまったのです。

 ただ「うそも方便」とでも言うのか、恐る恐るながらブルペンでの投球練習を重ねていくと思いのほか状態は良くなっていきました。2月末には2次キャンプを行っていた福岡ドーム(現ペイペイドーム)で紅白戦にも登板。2回を投げて無安打無失点に抑え、最速143キロを記録しました。

 3月12日には879日ぶりの一軍マウンドとなる広島とのオープン戦にも登板。改めて当時の新聞を読み返してみたら、鳥取から両親まで招いていたようなので、それなりに手応えを感じていたのでしょう。オープン戦最終登板となった3月27日の広島戦では5回を1四球で無安打無失点。開幕ローテーションに加わることもできました。

 911日ぶりの一軍公式戦登板となった4月13日の西武戦は気負いもあって5回途中4失点と不本意な結果に終わりましたが、1週間後の近鉄戦では6回3安打無失点。5月に入っても4日のロッテ戦で6回1失点、11日の日本ハム戦でも7回途中4失点とまずまずの投球でした。リリーフで僕の白星を2つ消した下柳剛からは「加藤さん、すいませんでした」と謝罪を受けましたが、こればかりはどうしようもありません。

 勝ち星に恵まれたのは復帰後5度目の先発となった5月18日の近鉄戦です。6回3失点ながらダイエーのリードは1点。7回から気迫あふれる投球で3イニングを無失点に抑えて僕にウイニングボールをプレゼントしてくれたのは、ほかならぬ下柳でした。998日ぶりの白星。それでも涙を流すことはありませんでした。ゴールではなく、スタートだという意識があったからでしょう。

 7月5日のロッテ戦では1721日ぶりの完投勝利。同14日のオリックス戦では対岸の西戸崎合宿所から眺めるばかりだった福岡ドームでの初勝利を挙げることもできました。その後は右手のマメの影響もあり、94年は登板17試合で3勝5敗に終わりましたが、前年までのリハビリ生活を考えれば上出来です。しかし王貞治さんを監督に迎えた翌95年、僕の野球人生は再び悪路へと突き進んで行ったのです。

 ☆かとう・しんいち 1965年7月19日生まれ。鳥取県出身。不祥事の絶えなかった倉吉北高から84年にドラフト1位で南海入団。1年目に先発と救援で5勝し、2年目は9勝で球宴出場も。ダイエー初年度の89年に自己最多12勝。ヒジや肩の故障に悩まされ、95年オフに戦力外となり広島移籍。96年は9勝でカムバック賞。8勝した98年オフに若返りのチーム方針で2度目の自由契約に。99年からオリックスでプレーし、2001年オフにFAで近鉄へ。04年限りで現役引退。ソフトバンクの一、二軍投手コーチやフロント業務を経て現在は社会人・九州三菱自動車で投手コーチ。本紙評論家。通算成績は350試合で92勝106敗12セーブ。

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