【赤坂英一 赤ペン!!】先週末、楽天がソフトバンクに3連勝し、オリックスと並んで首位タイをキープした。22日まで7連敗して一時3位に転落しながら、そこから巻き返して4連勝である。

 23日の西武戦では田中将が勝って連敗を止めたものの6回4失点。26日のソフトバンク戦では先発・高田孝が初回に危険球退場して中継ぎの西口が緊急登板するなど、楽な試合ばかりではない。

 そんな中、コーチ経験ゼロ、監督1年目の石井GM兼監督は、どのように選手を鼓舞しているのだろう。7連敗した直後に「何て言えばいいんですかね」と言葉を探しつつ、こう話していた。

「負けが込んでる時こそ思い切ってやっていかなきゃいけない、と思うんですけど、選手は大事にいき過ぎてるのかな、というところがある。打線にしても一球一球、大事に見過ぎていたりとか。勝ちたいという気持ちが強いから、そういうふうに大事にいっちゃう部分が出てると思うんです」

 そうした選手の心理はいわゆる「気負いという言葉ではない」そうで、「勝てないからこそ大事にプレーする」という前向きな気持ちだという。

「そういう強い気持ちのある選手の背中を、僕らがしっかりと押してあげられるようにしたい」
 
 一昔前のタイプの監督なら頭ごなしに「気合を入れろ」というところを、このように言葉を選んで導くのが石井流。そこで思い出されるのが、石井監督が先発投手を務めていたヤクルト時代だ。

 当時の名将・野村監督は石井について、僕たち記者やコーチ陣に「何も考えとらんわ」とぼやくのが常。ところが、石井本人には非常に優しく「ボクちゃん」と呼んでかわいがっていた。日ごろの会話からも、石井自身は逆に「自分は監督にとても期待されている」と感じていたそうだ。

 若き日の石井が野村監督の親心に応えたのは1997年9月2日の天王山。首位ヤクルトを3・5ゲーム差に追い上げていた2位・横浜(現DeNA)との直接対決でノーヒットノーランを達成したのだ。

 石井は前年のオフに左肩を手術し、リハビリが続いていたため、当時は110球の球数制限を課されていた。そこで8回終了時、野村監督に自ら降板を申し出ると「アホッ、めったにできることやないんや。やれる時にやっとけ!」と続投を命じられたという。

 この野村監督の言葉こそ、今石井監督が言う「選手の背中をしっかりと押してあげる」ことなのかもしれない。

 ☆あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」「プロ野球二軍監督」「プロ野球第二の人生」(講談社)などノンフィクション作品電子書籍版が好評発売中。「失われた甲子園 記憶をなくしたエースと1989年の球児たち」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。ほかに「すごい!広島カープ」「2番打者論」(PHP研究所)など。日本文藝家協会会員。