【加藤伸一連載コラム】両親の前でプロ初勝利 ところが翌日の紙面では…

2021年06月10日 11時00分

両親が観戦した試合でプロ初勝利をマーク

【酷道89号~山あり谷ありの野球路~(19)】入団1年目の1984年で忘れられない日があります。プロ初勝利を挙げた5月5日です。舞台は本拠地・大阪球場。前年まで6年連続Bクラスと低迷していた南海は3日の近鉄戦に勝って開幕10試合未満以外では4年ぶりとなる首位に浮上。スタンドには2万1000人のファンが詰めかけていました。

 出番が巡ってきたのは2―4の9回。首位の座を守りたい穴吹義雄監督は1点差なら抑えの金城基泰さんを投入する考えでしたが、8回の反撃が1点止まりだったため、僕が指名されたのです。いわゆる敗戦処理。打者3人を抑えて仕事を終えたと思っていたら、試合は予想外の展開になりました。

 2点差を追う9回二死一、三塁から代打の高柳秀樹さんが放った打球は平凡な外野フライにも思われましたが、これを中堅の高沢秀昭さんと左翼の庄司智久さんがお見合い(記録は二塁打)して2者生還。さらに四球を挟んで一、二塁の好機に河埜敬幸さんが左中間へはじき返し、南海はサヨナラ勝ちで3連勝を飾りました。

 不思議だったのは穴吹監督をはじめ、コーチや先輩選手たちが次から次へと僕のもとに来て「いや~、こんなこともあるんだな」とか「おめでとう」と言いながら笑顔で握手を求めてきたことです。敗戦処理で1イニングを抑えただけなのになんでだろう? 実は野球規則を理解しておらず、自分が勝利投手だということに気づいていなかったのです。

 これは偶然でしかありませんが、スタンドには鳥取から遠路はるばる応援に来てくれた両親がいました。会社員だった父もゴールデンウイーク中なら休みが取れるというので招待していたのです。いつも仕事で忙しくしていた父は、僕が中学や高校のときも野球の応援に来てくれたことはありません。それが初めて来た日にプロ初勝利。こどもの日に父と母に最高のプレゼントをすることができました。

 ただ、この話には僕らしい(?)オチもあります。ドラフト前から注目の的だった巨人の水野雄仁や阪急の野中徹博、近鉄の小野和義に先んじて高卒新人のプロ初勝利一番乗りだった割に、翌日の各スポーツ紙の扱いが小さかったのです。

 2点ビハインドの9回に登板して1イニングを無失点に抑えただけで、チームのサヨナラ勝ちによる“たなぼた勝利”だったことが理由ではありません。この84年5月5日は藤井寺球場で近鉄の“草魂”鈴木啓示さんが日本ハムを相手に141球の熱投で3失点完投勝利を飾って通算300勝を達成。後楽園球場では“ミスター赤ヘル”山本浩二さんが槙原寛己さんから左前打を放って通算2000安打を記録していたのです。要するに紙面が“辛かった”のでしょう。何事もうまくはいかないものですね。

 ☆かとう・しんいち 1965年7月19日生まれ。鳥取県出身。不祥事の絶えなかった倉吉北高から84年にドラフト1位で南海入団。1年目に先発と救援で5勝し、2年目は9勝で球宴出場も。ダイエー初年度の89年に自己最多12勝。ヒジや肩の故障に悩まされ、95年オフに戦力外となり広島移籍。96年は9勝でカムバック賞。8勝した98年オフに若返りのチーム方針で2度目の自由契約に。99年からオリックスでプレーし、2001年オフにFAで近鉄へ。04年限りで現役引退。ソフトバンクの一、二軍投手コーチやフロント業務を経て現在は社会人・九州三菱自動車で投手コーチ。本紙評論家。通算成績は350試合で92勝106敗12セーブ。

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