【加藤伸一連載コラム】プロ初登板の西武戦 憧れの田淵さんと対決

2021年06月09日 11時00分

1年先輩の畠山(手前)と球場入りする筆者

【酷道89号~山あり谷ありの野球路~(18)】勝負の世界では「運も実力のうち」と言われます。特にプロ野球の場合は、相手と戦う以前に一軍だったり先発ローテーションの“枠”を奪い取らなければなりません。必ずしもチャンスは平等に与えられるものではなく、ここぞというところでつかみ取らなければ、次はない可能性だってあります。

 古い話になりますが、西武の前身である西鉄では1969年の“黒い霧事件”で主力投手が大量に抜け、高卒2年目で未勝利だった東尾修さんが先発、リリーフでフル回転して11勝し、そのままエースへと上り詰めていきました。チームとしての危機的状況は、同時にチャンスを欲していた東尾さんにとってのチャンスでもあったわけです。

 入団1年目の84年4月14日、先輩投手の井上祐二さんが尿路結石で入院し、金沢で二軍のトーナメント大会で投げていた僕に一軍から声がかかったのは運命だったのかもしれません。

 一軍は猫の手も借りたいほどの台所事情でしたが、入団2年目で首脳陣の期待も高かった“にゃんこ”こと藤本修二さんはキャンプ中に宿舎で猫に餌を与えようとした際に、利き手である右手人さし指をかまれて化膿した影響から出遅れており、僕にお鉢が回ってきたのです。ついでに言うと、東尾さんにシュートを伝授してエースに鍛え上げたのも、右も左も分からない高卒ルーキーの僕を一軍に呼び寄せたのも、同じ投手コーチの河村英文さんでした。

 金沢のトーナメント大会での優勝を見届け、4月17日の本拠地・大阪球場でのロッテ戦から一軍でベンチ入りしたのですが、首脳陣も無理に使う気はなかったようです。いわゆる“社会見学”として、1週間ほど一軍の雰囲気を体験させようというものだと僕自身も認識していました。

 初登板の機会が巡ってきたのは4月14日に現役選手登録(現在の出場選手登録)されてから2週間ほど経過してから。30日の本拠地での西武戦でした。ゴールデンウイーク中のデーゲームとあって大阪球場には2万2000人のファンが詰めかけ、スタンドは大盛り上がり。先発の畠山準さんが6回途中3失点で降板し、一死二、三塁のピンチで2番手としてマウンドに上がりました。

 捕手の“ドカベン”こと香川伸行さんには「なんぼ打たれてもいいから思い切って投げえ」と背中を押され、伊東勤さんに一、二塁間を破られたと思ったら二塁手のドイルが横っ跳びのファインプレー。1つアウトを取って気持ちも落ち着き、続く秋山幸二さんを三振に仕留めて窮地を脱しました。

 プロ初登板は2回1/3を投げて打者10人に対し1安打1四球1奪三振で1失点。0―3のビハインドからの出番で勝敗には関係なかったものの、7回二死一塁から4番の田淵幸一さんを迎えた場面では感慨深いものがありました。何せ小学校の時に憧れていた選手ですから、中飛に抑えて自信にもなりました。まあ、後に監督と選手の関係になるとは思ってもいませんでしたが…。

 ☆かとう・しんいち 1965年7月19日生まれ。鳥取県出身。不祥事の絶えなかった倉吉北高から84年にドラフト1位で南海入団。1年目に先発と救援で5勝し、2年目は9勝で球宴出場も。ダイエー初年度の89年に自己最多12勝。ヒジや肩の故障に悩まされ、95年オフに戦力外となり広島移籍。96年は9勝でカムバック賞。8勝した98年オフに若返りのチーム方針で2度目の自由契約に。99年からオリックスでプレーし、2001年オフにFAで近鉄へ。04年限りで現役引退。ソフトバンクの一、二軍投手コーチやフロント業務を経て現在は社会人・九州三菱自動車で投手コーチ。本紙評論家。通算成績は350試合で92勝106敗12セーブ。

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