【加藤伸一連載コラム】無理をさせない方針のはずが…4月に緊急昇格

2021年06月08日 11時00分

井上の入院から一軍昇格のチャンスが巡ってきた

【酷道89号~山あり谷ありの野球路~(17)】プロの世界では一軍と二、三軍で待遇に大きな差があります。キャンプでもそう。球団によって程度の違いはあれど、一軍のキャンプ地は総じて球場もきれいで、ブルペンや室内練習場などの施設も充実しています。宿舎にしても、当然ながら一軍の方が部屋も広くて居心地いいものです。

 入団1年目の1984年、南海でも一軍と二軍の差は明確でした。しかし、他球団とは微妙に事情が異なります。当時は一軍が広島県の呉二河球場をメインにキャンプをしていたのに対し、二軍が使用していたのは近大呉工学部のグラウンド。プロ1年生で他を知らなかったため特に疑問を持ちませんでしたが、今では考えられない環境下で練習をしていたのです。

 連載序盤にも書いたように、僕は“諸事情”から倉吉北高時代に公式戦で3試合しか投げていません。そのため球団側も現場の首脳陣も通常の高卒新人以上に「無理はさせられない」という認識で、キャンプ中に紅白戦で投げることもありませんでした。風向きが変わってきたのは3月に入ってウエスタン・リーグの教育リーグで投げ始めてからです。

 初登板となった3月18日の近鉄戦では2番手で登板して、いきなり3連続四死球。しかも3人目の打者で同期の村上隆行には頭部死球を与えてしまい、一塁ベースコーチで村上の担当スカウトでもあった佐々木恭介さんにえらい勢いで怒鳴られる始末でした。

 船出は最悪だったものの“プロ初先発”となった3日後の広島戦では5回を投げて3安打2四死球ながら無失点。及川美喜男さんのバットを2打席連続でへし折ったり、前年のウエスタン・リーグ首位打者である木原彰彦さんも三ゴロ、二ゴロに仕留めた投球内容には視察していた一軍の穴吹義雄監督や河村英文投手コーチも大満足だったようです。

 教育リーグで3度目の登板となった3月28日の阪神戦では5回から2番手での登板ながら2イニングをパーフェクト。この時点で二軍監督の小池兼司さんから4月14、15日に金沢の石川県立野球場で開催されるウエスタン・リーグのトーナメント大会での先発と、場合によっては完投してもらうとの意向を伝えられました。

 実際に登板したのは大会初日の14日、相手は阪神でした。構想通りに完投…とはいきませんでしたが、6回3失点で勝ち投手に。思いもよらない知らせがあったのは、その試合後でした。「明日の晩に大阪へ戻って、17日のロッテ戦からベンチ入りしてくれ」。実は同日に先輩投手の井上祐二さんが尿路結石で入院。その穴埋め要員として僕に白羽の矢が立ったのです。

 ☆かとう・しんいち 1965年7月19日生まれ。鳥取県出身。不祥事の絶えなかった倉吉北高から84年にドラフト1位で南海入団。1年目に先発と救援で5勝し、2年目は9勝で球宴出場も。ダイエー初年度の89年に自己最多12勝。ヒジや肩の故障に悩まされ、95年オフに戦力外となり広島移籍。96年は9勝でカムバック賞。8勝した98年オフに若返りのチーム方針で2度目の自由契約に。99年からオリックスでプレーし、2001年オフにFAで近鉄へ。04年限りで現役引退。ソフトバンクの一、二軍投手コーチやフロント業務を経て現在は社会人・九州三菱自動車で投手コーチ。本紙評論家。通算成績は350試合で92勝106敗12セーブ。

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