【加藤伸一連載コラム】西鉄黄金期を支えた英文さんに教わった“イズム”

2021年06月04日 11時00分

英文さんは東尾さんに宝刀シュートを伝授した

【酷道89号~山あり谷ありの野球路~(16)】入団1年目の1984年、高卒ルーキーの僕に早い段階から目をかけてくださったのが当時50歳の投手コーチ、河村英文さんでした。現役時代には4歳下の稲尾和久さんと西鉄黄金期を築き、指導者としても通算251勝の東尾修さんに宝刀シュートを伝授するなど名伯楽として知られる方です。

 年齢差は親子というより孫とおじいちゃんに近いぐらいでしたが、何かと親身になって指導していただきました。メディアに向けた「ひと言で言うと理にかなった投げ方。体の柔らかさ、フォームの美しさ、ともに天性のもの。稲尾が西鉄に入団した時を思い出した」とのコメントは盛りすぎのような気もしますが、何かと東尾さんを引き合いに出して「200勝を目指せ」と言われていました。

 投球フォームや技術的なアドバイスというよりは「プロの投手とはかくあるべき」ということを教えてくださったのが英文さんです。さすがに1年目にはなかったはずですが、酒の飲み方を教えてくださったのも英文さん。グラスを傾けながら「投げて、金をもらって、酒を飲んで、女遊びをして…それでこそプロの投手」。鳥取県中部の田舎町で生まれ育った僕には“刺激的な教え”でしたが、確かにその通りだとも思ったものです。

 メディアに対するコメントもそう。「おとなしくしていたって、つまらん。ハッタリでもいいから、もっとしゃべらにゃあ。『うそも方便』と言うやろ。発言することで自分の言葉に責任を持つようにもなるもんや」。この連載を始めるにあたり当時の新聞記事などを読み返していると、しばしば高卒新人らしからぬ人を食ったようなコメントが見受けられました。恐らくこれらも“英文イズム”だったのでしょう。

 だからこそ練習しなければならない――というのが英文さんの教え。外野で練習している先輩投手たちを指さして「あいつらを見てみろ。ぜんぜん走っとらんやろ。ああなっちゃいかん」。野武士軍団と言われた西鉄のOBらしい豪快さに加えて、英文さんには“仕事としての野球”に対する厳しさもありました。そんな数々の教えは現役の間だけでなく、指導する側になった今も僕の体の中に染み込んでいます。さすがに社会人野球の選手相手に「女遊びしろ」とは言いませんが…。

 ともあれ、高卒新人だった僕は「じっくり育てる」という球団の方針からキャンプを二軍で過ごしましたが、思ったよりも早い段階から戦力として一軍に加わることになります。どんな経緯で声がかかったのかは次回から書いていきます。

 ☆かとう・しんいち 1965年7月19日生まれ。鳥取県出身。不祥事の絶えなかった倉吉北高から84年にドラフト1位で南海入団。1年目に先発と救援で5勝し、2年目は9勝で球宴出場も。ダイエー初年度の89年に自己最多12勝。ヒジや肩の故障に悩まされ、95年オフに戦力外となり広島移籍。96年は9勝でカムバック賞。8勝した98年オフに若返りのチーム方針で2度目の自由契約に。99年からオリックスでプレーし、2001年オフにFAで近鉄へ。04年限りで現役引退。ソフトバンクの一、二軍投手コーチやフロント業務を経て現在は社会人・九州三菱自動車で投手コーチ。本紙評論家。通算成績は350試合で92勝106敗12セーブ。

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