【加藤伸一連載コラム】秋季大会V2から1週間 センバツの道が…

2021年05月21日 11時00分

自宅でもシャドーピッチングは欠かさなかった

【酷道89号~山あり谷ありの野球路~(8)】1981年夏、新聞報道によって明るみに出た不祥事により、倉吉北高校は4季連続の甲子園出場どころか、鳥取県大会も出場を辞退することになりました。エースで主将の坂本昇さんが開会式で選手宣誓をしただけで大会を終えることになった3年生は、さぞかし無念だったと思います。大会初戦に臨むはずだった7月23日は、予定されていた米子高専戦の試合開始時間である12時から学校のグラウンドで3年生による紅白戦が行われましたが、胸の内は複雑だったことでしょう。

 後になって聞いた話によると、学校側が出場辞退を決断した背景には日本高野連からの“忠告”があったようです。自ら非を認れば再出発もしやすくなる――そんなシナリオだったのではないでしょうか。

 実際、倉吉北に高野連から追加処分が下るようなことはありませんでした。新チームは2か月の対外試合自粛を経て、練習試合を再開。黙々と練習を続けてきた成果もあって、松江商や大社にも快勝するなど練習試合8試合では6勝2分けと負け知らず。10月初旬に開催された翌春の選抜大会につながる秋季大会にも出場し、初戦は鳥取工に9―2でコールド勝ち。僕もリリーフとして夏の大会で果たせなかった公式戦デビューを飾りました。その後も倉吉北は境との準々決勝を4―1で制し、準決勝でも鳥取西に7―1と快勝。鳥取城北との決勝戦は先発全員安打となる20安打の猛攻で15―3の大勝でした。

 秋季大会を連覇し、同年11月1日開幕の中国大会への出場も決定。地元では「倉吉北始まって以来の強さ」ともてはやされ、僕ら選手たちも「全国を狙える」と意気込んでいました。

 岡山、広島、鳥取、島根、山口の各県から2校ずつが出場する中国大会では2勝すれば翌春の選抜大会への出場が見えてきます。実際に82年春は中国大会を制した岡山南と同大会2勝で準優勝の尾道商が甲子園に出場しました。

 夏にはスタートラインに立つことさえ許されなかった聖地への道。しかし、2度目のチャンスでも見えていたはずの一本道は、はかなく消えてしまいました。秋季大会V2から1週間後の10月17日に、倉吉北を再び襲った激震…。地元の倉吉警察署が野球部員7人を暴行、傷害の容疑で書類送検したのです。

 学校側は暴行の事実はないと当初は否定していましたが、1週間もたたないうちに一転して暴行の事実が判明したと日本高野連に報告する事態になりました。詰めかける報道陣に、校長室や職員室などに貼られた「学校関係者以外の立ち入りを禁ず」の張り紙。僕らは動揺を抑えて普段通り汗を流していましたが、練習を終えると学校側から悲しい現実が突きつけられました。

 ☆かとう・しんいち 1965年7月19日生まれ。鳥取県出身。不祥事の絶えなかった倉吉北高から84年にドラフト1位で南海入団。1年目に先発と救援で5勝し、2年目は9勝で球宴出場も。ダイエー初年度の89年に自己最多12勝。ヒジや肩の故障に悩まされ、95年オフに戦力外となり広島移籍。96年は9勝でカムバック賞。8勝した98年オフに若返りのチーム方針で2度目の自由契約に。99年からオリックスでプレーし、2001年オフにFAで近鉄へ。04年限りで現役引退。ソフトバンクの一、二軍投手コーチやフロント業務を経て現在は社会人・九州三菱自動車で投手コーチ。本紙評論家。通算成績は350試合で92勝106敗12セーブ。

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