【加藤伸一連載コラム】先輩の眉毛がない…リアル「ビー・バップ・ハイスクール」の倉吉北野球部

2021年05月18日 11時00分

映画化もされた「ビー・バップ――」。手前は主演の仲村トオルと清水宏次朗(左)
映画化もされた「ビー・バップ――」。手前は主演の仲村トオルと清水宏次朗(左)

【酷道89号~山あり谷ありの野球路~(5)】すでに甲子園の常連校という枠を超え、全国レベルの強豪校になっていた倉吉北高校は、聖地でのプレーを夢見る球児にとって憧れの学校でもありました。何せ当時の鳥取県は硬式野球部を有する高校が21校しかなく、夏の大会では最大でも5回勝てば甲子園。私立校で下宿や寮も充実していて、主に大阪や兵庫などの関西圏や隣県の岡山などから多くの学生が集まってきていました。かつて県外生は2、3人しかいなかったそうですが、1979年春のベスト8に81年春の4強と甲子園での成績が上がるにつれてその数は逆転。僕の入学した81年は120人ほどいた新入部員の中で、自宅から通っていたのは倉吉市立倉吉西中学校で一緒にプレーした捕手にキャプテン、僕を含めた3人だけでした。

 もちろん何も知らずに倉吉北の門を叩いたわけではありませんが、やはり中に入ってみると驚きの連続でした。新入部員の数の多さもさることながら、そのほとんどが関西弁で話している。先輩たちの容姿に目を移すと、額には気合の入ったそり込み、目の上にあるはずの眉毛がなく、制服はブレザーなのにズボンはダボダボのボンタンで腹部にはラメ入りのハラマキ。靴はなぜか昭和の芸人を思わせる白のエナメル…と、さながらリアル「ビー・バップ・ハイスクール」でした。

 もう、説明は不要でしょう。新入部員たちに、どんな仕打ちが待っているのかは…。駒沢大の相撲部出身で野球経験のない徳山一美監督は練習に毎日顔を出すわけではなく、メニューを決めるのは先輩たち。「グラウンド整備がなってない」などと何かにつけて難癖をつけ、うさぎ跳びをエンドレスでさせられたり、ひたすら匍匐(ほふく)前進をさせられることもありました。そうかと思えば輪になって正座をさせられ、順番にケツバットされる。僕は自宅からの通いだったため「顔を傷をつけたら面倒なことになる」と“不条理な制裁”は腹部やでん部に限られましたが、寮生には容赦ありません。

 部員数の多い強豪校ともなると、厳しい練習を課すことで人数を減らしていくということはままあります。ただ、倉吉北のそれは「しごき」の範ちゅうを超えたものでした。特に寮生は練習が終わった後にも“かわいがり”や先輩へのマッサージが待っていたので、息抜きさえできない状況だったのです。

 倉吉北で甲子園へ――そう意気込んで県外から入学してきた同級生は集団脱走などもあり、最初の2、3か月で半数ほどが志半ばで故郷へと帰っていきました。そんな中で厳しい練習や先輩からの理不尽な仕打ちに耐えていた僕は、彼らと違った意味での苦しさを味わうことになるのです。

 ☆かとう・しんいち 1965年7月19日生まれ。鳥取県出身。不祥事の絶えなかった倉吉北高から84年にドラフト1位で南海入団。1年目に先発と救援で5勝し、2年目は9勝で球宴出場も。ダイエー初年度の89年に自己最多12勝。ヒジや肩の故障に悩まされ、95年オフに戦力外となり広島移籍。96年は9勝でカムバック賞。8勝した98年オフに若返りのチーム方針で2度目の自由契約に。99年からオリックスでプレーし、2001年オフにFAで近鉄へ。04年限りで現役引退。ソフトバンクの一、二軍投手コーチやフロント業務を経て現在は社会人・九州三菱自動車で投手コーチ。本紙評論家。通算成績は350試合で92勝106敗12セーブ。

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