素肌にセーター、素足に革靴、ほのかに香るフレグランスとバカンスにでもやって来たような雰囲気のこの男。1992年、開幕から1週間がたった4月12日に来日した、巨人の新助っ人ロイド・モスビーだ。

 翌13日、早速ジャイアンツ球場に姿を現すと、前年(91年)までタイガースで同僚だった元阪神のセシル・フィルダーが描かれたTシャツ、短パン、サングラスという、やはりバカンスのようないでたちで練習に参加した。

 練習前のナインとの顔合わせでは、藤田元司監督が「32歳で、みんなからするとお兄さんになるんじゃないかな。みんな仲良くするように」と紹介。小学校に転校生がやって来たみたいだ。本人は「オレは顔がみにくいからサングラスをしてるんだ」とジョークを飛ばすと「野球は野球。どこへ行っても同じさ。ゲームをこの上なく愛する、それがモスビーだ」とニヤリ。原辰徳は思わず「かっこいいじゃん」とつぶやいたものだ。

 モスビーの経歴を見れば、藤田監督が選手を“子供扱い”したのもうなずける。78年のドラフトでブルージェイズから1巡目指名(全体2位)され、80年にメジャーデビュー。中心選手となるのにさほど時間はかからず、86年にはオールスターゲームにも選出された。

 同時期に活躍したジョージ・ベル、93年に巨人で同僚となるジェシー・バーフィールドとともに「最高の外野トリオ」と呼ばれ、ファンを魅了。90~91年はタイガースでフィルダーとクリーンアップを組んだ。

 ちなみに、モスビーと同じ時期にソ連最後の最高指導者だったミハイル・ゴルバチョフも来日。ある日、東京駅で巨人とゴルバチョフ一行が“ニアミス”となり、ちょっとした騒ぎに。大勢の人の行き来を見ながら中村稔投手コーチは「ゴルビー(ゴルバチョフの愛称)よりモスビーだよ」と渾身のダジャレを披露。これも期待の大きさの表れだ。

 4月21日のヤクルト戦(神宮)でデビューし、いきなり本塁打を放つなど活躍。最終的に96試合に出場し、打率3割6厘、25本塁打、71打点と好成績をマークし、センターの守備も申し分なかった。中西太打撃コーチは「スイングが速い上に研究熱心。こっちの話もよく聞くし、常に日本の投手のことを知ろうとしている」と高く評価。性格も明るく、G党からは「クロマティの再来」の声も上がった。

 長嶋茂雄監督が復帰した93年も残留し、さらなる活躍が期待された。本人も気心知れたバーフィールドと再びチームメートとなったことを喜んでいたが、度重なる故障に悩まされ、シーズン終了を待たず退団した。 (敬称略)