人の心をつくるスカウトの道

2021年04月04日 10時00分

菊池雄星との面談を終えたソフトバンクの小川一夫スカウト部長(2009年10月)

【越智正典 ネット裏】2020年、日本一になったソフトバンクの球団会長王貞治が全幅の信頼を寄せている元二軍監督、小川一夫(戸畑商業、内野手、1972年ドラフト5位で73年に南海に入団)の歩みはスカウトが担務で始まった。このときに、人の心を知り、世の中を知った日々の積み重ねが活きている。

 あの巨人の藤田元司もスカウトを体験している。昭和48年だったか、鳥取へ仕事に行ったときに駅前で、昔ふうにいうと「武勲赫赫たる」藤田元司にばったり会った。藤田はビジネスホテルに泊まっていて、ホテルの前のスーパーで、晩ごはんの弁当を買っていた。

 娘ムコの、夏の甲子園55回大会の銚子商の一塁手、東海大学、岩井美樹に「スカウトを体験出来て本当によかった」と、会うたびに語っていたと聞く。

「おとうさん(愛娘結花さんと結婚)のスカウト時代の体験談はタメになることばかりです」

 彼が監督として千葉県勝浦の国際武道大学に着任したとき、野球部の合宿所がなかった。が、岩井は大学に合宿所を作って下さいとは要請しなかった。選手たちはみんな民宿。合宿所を作ると民宿を出ることになる。そうなると民宿を営んでいる人たちに迷惑がかかると案じたのである。町にも悪い…。いいスカウトの歩みをさかのぼると結局は人柄ということになるのだろうか。

 小川一夫はいまも折々に恩師、故石川正二の娘さんの家を訪ねている。手を合わせて感謝している。

 石川正二は八幡製鉄と門司鉄道局の対抗試合、あのはなやかだった「製門戦」の門鉄の監督。門鉄に採用した全国的にまったく無名の唐津中学の木塚忠助を鍛え、育てて、昭和23年南海へ送り出した。木塚は7000円の契約金を貰うと駅前の闇市へ行って6000円で進駐軍のお古のグラブを買い、自分に合うよう直して大阪へ発った。
「飛燕三尺、拝み取り、木塚忠助、サーカスプレー」

 NHK名アナウンサー、志村正順が盗塁王4回の名ショートを活写する。ファンは沸いた。

 石川正二が木塚を南海へ送り出したのは、南海の監督鶴岡一人と気が合ったからである。鶴岡は九州の若者たちでチームを固めたかった。「尚武の気象」に惚れていた。石川正二は男と男の絆から南海の「九州探題」になる。

 富士高校、本州製紙、日本軽金属の投手、巨人時代にノーヒットノーランをやってのけた“メリーちゃん”こと渡辺秀武は広島で現役を終えカープのスカウトになると、石川正二に驚嘆した。

「石川さんは凄いや。いつも夏の大会でも甲子園球場に一番乗り。抜きたいと思って朝6時に行ったらもう開門を待っている列に並んでいた。石川さんは甲子園球場の前で野宿しているのかなあ」

 08年暮れ、品川駅前のホテルで東洋大学の優勝祝賀会があった。小川一夫も招かれた。07年春秋、08年春、東都の最高殊勲選手、07年日米大学野球選手権36回大会の日本優勝(3勝2敗、ノースカロライナ州ダーラム)の殊勲投手大場翔太を指名している。小川は来賓控室には入らなかった。会場のずうーと奥の廊下の隅で1時間、じいーと開会を待っていた。美しかった。謙虚である。 =敬称略=

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