【ドラゴンズ血風録~竜のすべてを知る男~(9)】昭和から平成初期にかけてのプロ野球は令和の現在と比べてはるかに殺気立った雰囲気がありました。相手のクリーンアップに打たれてはいけないと投手は内角をビシビシ攻めます。もちろん打者の方もぶつけられたら黙ってはいません。死球が発端となって乱闘騒ぎとなることもしばしばでした。星野監督は闘志を前面に出すタイプの監督でしたから、自然と中日ナインもその影響を受けています。乱闘が起これば全員がグラウンドに猛ダッシュです。

 ですが、その星野監督に負けず劣らず、ド迫力だったのが広島の山本浩二監督でした。あれは確か星野監督が指揮を執った最後の年(1991年)だったと思います。浜松でのカープ戦でうちの宇野勝が広島の投手から内角の厳しいところを攻められたのがきっかけで星野監督と山本監督の大ゲンカが勃発したのです。

「タツ! てめー次やったらどうなるかわかっとるやろな!」

 宇野に対する危険な投球に中日ベンチからカープの達川捕手に猛烈なヤジが浴びせられました。すると達川捕手は球審に何かアピールを行ったのです。浜松球場はホームとベンチの距離が近いので達川捕手が「あれは暴言じゃないですか」と言っているのが聞こえてきました。

「タツ! 何か文句あるのか!」

 再び中日ベンチから達川捕手にヤジが飛ぶと今度はカープベンチから「何だと!」という怒声。それを合図に両軍ベンチからドラゴンズナインとカープナインがワーッと出てきたのです。

 ホームベース付近で中日、広島両軍入り乱れてのもみ合い押し合い、となったのですが、その中心で激しくやり合っていたのが星野監督と山本監督でした。「オレを怒らせたら損するのはお前だろうが!」と激怒する山本監督に「何やとー!」と星野監督も応戦。ドラゴンズの選手もカープナインも熱くなりかけていたのですが、今にも殴り合いになりそうな総大将同士の激し過ぎるバトルにみんな内心「大丈夫か?」と冷や汗です。

 審判団が間に入って何とかその場は収まったのですが、星野監督も山本監督もともに怒りが収まらない様子。互いにものすごい形相でにらみ合っていました。星野、山本両監督といえば六大学時代からしのぎを削ってきたライバルであり、親友でもあります。ドラゴンズの選手もカープの選手も2人の仲の良さは知っていましたから、この乱闘騒ぎで友情にヒビが入ったのではないかと不安に…。「(星野監督と山本監督は)ずっと仲が良かったのに、これはあかんわ…」。めったなことでは動じない島野コーチも試合そっちのけで2人の関係を心配していたほどでした。

 ところがです。この試合からしばらくして広島遠征に出かけたときのこと。星野監督と山本監督は、まるで何事もなかったかのようにお互い笑顔だったのです。しかも広島市内で2人で一緒に食事までしていたというから驚きです。あのときのものすごいけんまくは一体何だったのか? みんな、あぜんとなったのは言うまでもありません。「ケンカするほど仲が良い」と言いますが、2人の絆は私たちが思っていた以上に強いものだったのだと思わされました。

 ☆いとう・しょうぞう 1945年10月15日生まれ。愛知県出身。享栄商業(現享栄高校)でエースとして活躍し、63年春の選抜大会に出場。社会人・日通浦和で4年間プレーした後、日本鍼灸理療専門学校に入学し、はり師・きゅう師・あん摩マッサージ指圧師の国家資格を取得。86年に中日ドラゴンズのトレーナーとなり、星野、高木、山田、落合政権下でトレーナーを務める。2005年から昇竜館の副館長を務め、20年に退職。中日ナイン、OBからの信頼も厚いドラゴンズの生き字引的存在。