昭和39年巨人納会 正座の王と恋バナの長嶋

2021年03月28日 10時00分

昭和39年、納会で乾杯する長嶋(右)と王

【越智正典 ネット裏】 2020年、日本シリーズで巨人を4勝0敗で破って日本一になったソフトバンクホークスは優勝祝賀会を開催しなかった。優勝旅行も遠慮し、納会も開かなかった。当然であろう。

 だれもが、コロナウイルスのこんなに困難なときが来ようとは思ってもいなかった。昭和39年の巨人の納会は凄かった。

 現ソフトバンク球団会長王貞治は、このとき入団6年目で本塁打王3度、打点王2度。特にこの39年は猛打。東京五輪で開幕がはやかった3月20日、後楽園球場での国鉄1回戦で、金田正一から右翼場外弾。5月3日の後楽園球場での阪神戦では4打席連続4本塁打。投手を注ぎ込む阪神の投手コーチ・杉下茂も立派だった。送り出す投手に「逃げるな。勝負せい!」。王はこの年、55本塁打をかっとばしている。私はこの納会で王が正座をした姿をいまも折々に思い出している。

 11月26日、熱海静観荘。この年、巨人は勝てなかった。阪神が優勝していたが、翌日はゴルフコンペが組まれていた。

 この日、空はいまにも泣き出しそうで、珍しく、海も荒れ熱海海岸には白い波が砕け散っていた。

 開宴前、川上哲治監督が宴会場の大広間にやって来た。席次を点検した。47年の納会で、目の負傷から再起し、登板33試合、13勝2敗の菅原勝矢(東京農大、41年入団)の席が下座なのを見付けると上座にと、仲居さんに言って変更した川上だが、この日、王の席が下座寄りの中ほどであったのに川上はこれでよし! と変えなかった。

 挨拶、乾杯、開宴。ほどなく下座のステージでバンド演奏が始まった。カーテンが開いて東海林太郎さんがマイクに向かった。司会者は東海林太郎さんですと紹介しなかった。この名歌手を言葉で飾って紹介するのはかえって失礼になると思ったようだ。いい司会だった。

 王貞治が正座をしたのはそのときである。名人への畏敬である。東海林太郎さんが直立不動の姿勢で「麦と兵隊」を歌い出した。

<徐州徐州と人馬は進む>

<戦友よ来て見よ、あの雲を>

 歌い終わると王は畳に手をついてステージに向かって一礼した。王貞治24歳。王は翌朝はやく、予約していた稲取の宿に向かった。稲取ではバットを振らなかった。海釣り。一念不動の境を求めているようだった。

 長嶋茂雄もコンペに参加しなかった。ペナントレースがはやく終わった秋、報知新聞の五輪臨時記者になったときに、コンパニオンの西村亜希子さんとめぐり合って婚約していた。

 27日朝、記者たちに「結婚(40年1月26日)してからゆっくり亜希子に恋をするよ」と言い残して、立教の友だちが用意してくれたいすゞ自動車の箱根山荘に向かって行った。箱根では、朝は目の前の金時山に駆けのぼり、夕方は仙石原を走った。夜は暖炉に薪をくべ「星の王子さま」を読んでいた。深夜、長嶋はバットを握りしめて屋外に出る。が、スイングはしなかった。満天に星。バットの構えだけを繰り返し、たしかめていた。=敬称略=

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