【藤田太陽「ライジング・サン」(35)】現役引退を決意して、新しい一歩を踏み出しました。将来の夢でもあったスポーツバーの開業に向け、寝る間も惜しんで修業を重ねました。その一方で、野球の大切さも再認識し自問自答していた時期です。

 そんなとき、僕に声をかけてくださったのが富山県のクラブチーム・ロキテクノベースボールクラブでした。2013年限りで現役を引退していましたが、投手兼コーチとして16年シーズンから現役復帰することになりました。

 開業は今ではない。年齢も30代半ばで、まだ自分が投げてみせることができる。これは今しかできない。スポーツバーは将来、やりたければまたできる。そう決心して野球の世界に復帰しました。

 若いメンバーと一緒に汗を流し、18年にはクラブチームの全国大会にあたる、全日本クラブ野球選手権大会出場を果たすことができました。

 それまでは社業とは無関係でしたが、19年からはロキテクノの親会社である株式会社ロキグループに入社することになりました。

 雇用形態は契約社員。プロ野球OBとしてのフリーの活動と両立できるよう、会社として始まって以来の特別な形で仲間に入れていただきました。

 現在の所属は東京本社経営企画室広報グループ。自分が活発に活動できれば、会社にも恩返しできると信じ行動しています。

 昨年20年はロキテクノ富山でヘッドコーチ兼投手でした。僕はこのシーズン限りで2度目の引退をしました。

 そしてロキテクノ富山が21年1月に日本野球連盟から企業チームとして認定されることに伴い、20年12月8日付で僕が監督に就任させていただくことになりました。

 現段階での目標はまず、3年以内に選手たちを都市対抗野球大会に導き東京ドームに連れていくことです。

 自分は強豪校出身でもない。プロに入って苦労しましたし、時間もかかりました。でもその分、身についたことは忘れない。我々のチームもバリバリのエリートではない選手が多い。遠回りするタイプの選手も少なくはないと思うので、そういう人材を助けていきたいです。

 僕自身、体が動くうちはパフォーマンスも見せてあげたい。教えること、伝えることに関しては誰にも負けたくないです。

 人間教育という面でも責任を感じています。社会に通用する人材を育てる。社内でも社員全員が野球部を応援しているというわけではないと思います。野球をさせてもらっていることを自覚した行動で、社員一人ひとりに応援してもらえるような人材になっていこうと思っています。

 まだ、名門チームでもないので練習はもちろん、人材育成からですね。昨日まで「頑張ります。何がなんでも」と言っていた選手が、急に辞めるなんてこともありますから。どうしたんだ、何が原因だ?と聞いてみたら「いや僕、バーテンダーになるのが夢なんで…」なんて答えが返ってくる。そんなもん今じゃなくても、後からいくらでもできるやろと思ったりすることもあります。

 これから歴史をどんどん積み重ねて、ロキテクノ富山で野球をやる誇りを持ってもらえるようなチームにしていきたいです。その誇りや風土は皆でつくっていくもの。クサイ言葉を並べますが本当にそう思っています。

 ☆ふじた・たいよう 1979年11月1日、秋田県秋田市出身。秋田県立新屋高から川崎製鉄千葉を経て2000年ドラフト1位(逆指名)で阪神に入団。即戦力として期待を集めたが、右ヒジの故障に悩むなど在籍8年間で5勝。09年途中に西武にトレード移籍。10年には48試合で6勝3敗19ホールドと開花した。13年にヤクルトに移籍し同年限りで現役引退。20年12月8日付で社会人・ロキテクノ富山の監督に就任した。通算156試合、13勝14敗4セーブ、防御率4.07。