星野さんは昭和の任侠映画の登場人物みたい

2021年03月04日 11時00分

星野監督(左)には本当にお世話になった

【藤田太陽「ライジング・サン」(32)】プロで初めての監督は野村克也監督でした。ただ、恩返しする間もなく僕のルーキーイヤーに退任され、次期監督には星野仙一さんが就任されました。

 星野さんは期待を持って接してくださいました。僕の2年目2002年には、シーズン後半から藤川球児とともに積極的にローテで起用してくださいました。

 星野さんは常に怒ってましたね。っていうか、いつも僕が怒られてましたね。

 就任1年目のキャンプで僕が右太モモをけがしたときには「またけがしたんか、このバカたれが! もう一生、顔を見せんな」と言われて二軍に行きました。

 7月半ばに一軍に戻ってきた時には「おう、戻ってきたか。ちょっとはしっかり投げれるようになったんか」と声を掛けられたのを覚えています。

 根気強く使っていただいて、9月3日の広島戦(広島市民)でプロ初勝利を挙げることができました。9回5安打2失点でプロ初勝利を初完投で飾ることができました。

 実は初勝利を挙げた後、星野監督に記念で腕時計を頂きました。世界的にも有名な高級ブランドの「ウブロ」製です。あれから19年になりますが、もちろん大切にしています。

 保管しているのではなく、今でも会社に行くときには着けさせてもらってます。「宝物」なんていう言葉だけでは表せないくらいの意味がありますね。

 僕自身、一番自分がうまくいかなくてもがき苦しんでいた時に、あんなにも偉大な人から大事な贈り物を頂いた。これまでもすでに、いろんな選手、みんなに渡しているうちの一個かもしれないですよ。

 でも、僕にとっては大事な思い出です。今も仕事中、時計の文字盤を見ていると、このままじゃダメだな、昔の自分と一緒だな、頑張らなきゃとも思えるし。

 何でしょうね。魔法の時計というのか。過去の自分を戒めて、未来の自分に思いをはせることができる。時間を戻してもくれるし、進ませてもくれるんです。

 もう亡くなられてお話しできないので、いろんなことを余計に考えてしまいますね。

 01年に逆指名で阪神入りして、初勝利までは遠かった。そこから次の先発ではポンと勝ってしまったんです。星野監督は新聞で「不思議なもんやなあ」とお話しされてました。

 でも、僕には怖さが押し寄せてました。周囲はもう来年はしっかり先発で独り立ちしてもらわなきゃって感じになっているんですが、僕からするととんでもない。

 まだそんな技術もハートも持っていませんという状態。現実を見てしまって本当にこれではプロで生きていくのは難しいと思っている自分がいました。

 そんな中、03年には開幕ローテに入れてもらいました。星野さんに監督室呼ばれて「ローテ、お前どうや」と言われました。

「入りたいです」とか中途半端な答えだったら、後の話を聞くとダメだったみたいです。僕はもうウソでもいいから「できます!」と即答しました。

 すると星野監督は「おっしゃ、決めたる、ローテ入れ」と即決してくれました。キャンプ、オープン戦と状態は良かったのでそのままローテに入れてもらえました。

 失敗してもチャンスをくれました。心意気、気持ちを大事にしてくれました。このシーズンの6月にヒジを壊して手術しましたが、僕は星野監督、佐藤義則投手コーチを信頼していましたので後悔はしてません。

 口と腹の中は違う。怒っているけど、頭は冷静。怒っていない顔してもすごく怒っている。ガンとベンチを蹴り上げながらも、それはポーズだったりする。根には持たない。温かい人でした。昭和の任侠映画の登場人物みたい。一緒に野球をさせていただき感謝です。

 ☆ふじた・たいよう 1979年11月1日、秋田県秋田市出身。秋田県立新屋高から川崎製鉄千葉を経て2000年ドラフト1位(逆指名)で阪神に入団。即戦力として期待を集めたが、右ヒジの故障に悩むなど在籍8年間で5勝。09年途中に西武にトレード移籍。10年には48試合で6勝3敗19ホールドと開花した。13年にヤクルトに移籍し同年限りで現役引退。20年12月8日付で社会人・ロキテクノ富山の監督に就任した。通算156試合、13勝14敗4セーブ、防御率4.07。

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