【藤田太陽連載コラム】チームに必要ない人になろうと振る舞っていた

2021年02月25日 11時00分

フォーム改造には成功したが、チャンスはなく敵をつくるような言動も…

【藤田太陽「ライジング・サン」(28)】スリークオーターにフォームを改造し、これが自分にハマりました。チームメートだったジェフ・ウィリアムス直伝です。依然として二軍暮らしが続いてはいましたが、今の自分は「何をしなきゃいけないのか」を考えられる大人になっていました。

 2009年は二軍でクローザーの立場で投げさせてもらいました。もし、僕が一軍のクローザーだったとしたらどう投げるのか。そういうことを想定しながら、機会を無駄にすることなく投げ続けました。

 自分がこのチームの一員として何をすべきなのか。ようやく周囲を見ながら感じることができるようになっていました。

 ただ、タイガースでは「制球難で一発病の太陽」というイメージは払拭できずにいました。二軍でしっかり投げていればチャンスは来る。結果を積み重ねて、以前のイメージを変えようと懸命に右腕を振りました。

 でも、遅すぎたのかもしれません。誰かが見てくれている。そう信じたい自分もいました。でも、チャンスは訪れなかったんです(09年はウエスタン・リーグで22試合0勝1敗10セーブ、防御率1・93)。

 それはなぜだったのか。プロ野球界には次から次へと新しい選手が入ってきます。ずっと結果を出せなかった9年目のドラ1よりも、次の世代に優先してチャンスを与えるのが普通ですよね。

 当時の阪神はJFKに加えて「SHE」と呼ばれていた桟原将司、橋本健太郎、江草貴仁と安定したリリーフ陣が存在しました。チームも上位争いをしていたため、投手陣の構成を大きく変えにくい状況もあったはずです。

 正直、そんな状況に嫌気が差していたことも事実です。でも、もし僕に本当の実力があって、150キロを連発してバンバン抑えられたなら二軍にはいないわけですよ。「一軍は入れ替えもないし」と愚痴っても、それは言い訳にしかなりません。

「僕なんて、どうせ一軍に上がっても1週間ですぐ二軍だからさ」

「投手コーチの中西さんは、自分のお気に入りの選手ばかり使ってるんだよ」

 そんなことを思って、そんな態度でいる選手は当然、かわいがってはもらえませんよね。僕は自分がうまくいかないことを誰かのせいにしていました。

「はい、頑張ります」の僕ではなく、自分を偽ってチームでは必要のない人になろうと振る舞っていました。故意に敵をつくるような言動も意識してやりました。トレードに出されようと思って。もう疲れちゃってました。もういいわって。

 でも、よくないんですよ、当然。なんか感情が爆発してしまっていた自分がいました。球団納会でも盛り上がるみんなをよそ目に冷めた自分がいた。できるなら出席もしたくない。そんな心の中身を誰も分かってはくれない。

 ただ、同時に「こんなことで腐ってしまうのはもったいない。他チームで必要としてくれるところがあるなら、そのために頑張ろう」とも思っていました。

 09年の途中、僕は揺れる心を抱えながら努力を続けていました。練習も試合も全力で取り組むという基本姿勢は変えなかった。その上で自分の状況を客観的に見て、今後のことを含めた近未来を思い描いていました。

 今いるチームでちゃんとした姿勢を見せてない選手なら、どこにも獲ってもらえない。今思えば、やっと野球選手としての藤田太陽が動きだしたんです。そんな僕を獲得しようと手を挙げてくれる球団が現れました。

 ☆ふじた・たいよう 1979年11月1日、秋田県秋田市出身。秋田県立新屋高から川崎製鉄千葉を経て2000年ドラフト1位(逆指名)で阪神に入団。即戦力として期待を集めたが、右ヒジの故障に悩むなど在籍8年間で5勝。09年途中に西武にトレード移籍。10年には48試合で6勝3敗19ホールドと開花した。13年にヤクルトに移籍し同年限りで現役引退。20年12月8日付で社会人・ロキテクノ富山の監督に就任した。通算156試合、13勝14敗4セーブ、防御率4.07。

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