【赤坂英一 赤ペン!! 特別編】宮崎へキャンプ取材に来て30年以上になるが、これほど寂しい夜の街は初めてである。東京と同様、宮崎も新型コロナ禍により、選手やコーチと杯を傾けた昔なじみの店は軒並み休業中なのだ。

 営業している居酒屋も夜8時まで、酒の提供は7時まで。慌てて飲んでいたら「クラスター発生の際に連絡が取れるよう氏名と電話番号を教えてください」と店主に言われた。当然、キャンプ中の選手や球団関係者など影ひとつ見かけない。

 これが昨年までなら、練習休みの前夜ともなると、各球団の選手たちがドッと繁華街に繰り出していたものだ。とくに第2次長嶋監督時代の巨人選手たちの夜遊びぶりはすさまじかった。当時のOBはこう言っている。

「午後4時に宿舎を出て、5時から焼き肉食って、6時過ぎにはスナックやランパブでドンチャン騒ぎよ。昔は魚心あれば水心でさ、食事する店に女の子を呼び、合コンをセッティングしてくれるタニマチ的な人もいたんだ」

 どうしてそんなに早く夜の街に繰り出すのかというと、当時巨人はことのほか門限が厳しかったからだ。練習日が午後8時、休みの前日は午後10時まで。遊びたい盛りの若い選手にすれば、食べて飲んで、もう一軒行くか、と勢いがついたあたりで宿舎へ帰らなければならない。

 別の元選手の証言。

「門限のチェックはマネジャーがやっていて、選手の部屋をコンコンとノックし、返事がなかったら翌日呼び出されるんです。ただ、藤田(元司)監督の時代はお目こぼしもありましたよ。返事がなかったとマネジャーに言われても、もう寝てましたと答えればそれで済んだんです。ベテランになれば、それぐらいの特権は当然でしょう」

 ところが、長嶋監督の復帰後、選手の夜の動向が写真週刊誌などのネタにされることが増加し、にわかに球団の締め付けが厳しくなった。一時はひそかにホテルのマスターキーを使い、選手の部屋をのぞこうとした関係者もいて、選手たちが「プライバシーの侵害だ!」と怒りだしたこともある。

 こうなると、とにかく門限までにいったん宿舎へ戻るしかない。門限に間に合うギリギリの時間まで歓楽街で遊んだ選手は、タクシーに乗っては「飛ばせ!」と運転手を大声でせかしたという。

 これが当時、宮崎市と巨人の間で問題化した。選手にせかされた運転手が恐怖を感じ、制限速度を超えるケースも増え、市側が「選手をきちんと教育してほしい」とクレームをつけたのだ。当時は宮崎でタクシーに乗ると「○○選手は怖い、ヒドイ」という運転手のグチをよく聞かされた。

 ちなみに、長嶋監督は「門限? 何時でもいいんじゃないですか。選手は若いんだから遊びたいときもあるでしょう」と笑い飛ばしていた。それがいまや、夜遊び以前に外出すらままならない世の中である。一昔前の黒歴史も、完全に過去の話になってしまった。

 ☆あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」「プロ野球二軍監督」「プロ野球第二の人生」(講談社)などノンフィクション作品電子書籍版が好評発売中。「失われた甲子園 記憶をなくしたエースと1989年の球児たち」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。ほかに「すごい!広島カープ」「2番打者論」(PHP研究所)など。日本文藝家協会会員。