渡米直訴から5年 上原が日本人初のワールドシリーズで胴上げ投手に

2021年01月28日 11時00分

上原はレッドソックスに入団した

【球界平成裏面史 上原編(2)】平成11年(1999年)にデビューした上原浩治は、もともとからメジャー志向だった。近鉄、巨人、エンゼルスの争奪戦の末に逆指名で巨人入りも「メジャーでやるにはまだ自信がないから」と未練を残したコメントを残していた。
 巨人入団後は着実に結果を残し、球界を代表する投手へと成長。上原の実績を知る現在なら、文句なくメジャー挑戦を世論も後押ししたはずだが、当時の現実はそうではなかった。

 平成16年(2004年)オフ、公にポスティングシステムによるメジャー移籍を球団に直訴。翌17年シーズンを最後に、18年からの米球界入りを認めるよう求め、球団側と交渉したが断固拒否された。

 その際にはFA権取得までの期間を補償する違約金を支払うとまで申し出た。この真剣度むき出しの要望に巨人は「わがまま」とレッテルを貼った。当時の世論も巨人に同調する意見が多かった。

 交渉が長期化し契約成立がキャンプイン後にまでずれ込むと、メディアの論調もさらに厳しくなった。上原の成績も故障の影響で下降線となり、堀内巨人も5位と低迷。上原としては球団、マスコミ、ファンとも敵対するような構図に仕立てられた形だった。

「あのころはしんどかったね」

 今となってはそう振り返る上原だが、それもメジャーで最高の勲章を手にできたからこそだろう。

 巨人に渡米直訴してから5年後の平成21年(09年)に海外FA権を行使してオリオールズ入りが決定。その後、レンジャーズを経て平成25年(13年)にはレッドソックスの守護神として、日本人史上初のワールドシリーズ胴上げ投手となった。

 メジャー9年目を終えた平成29年(17年)オフ、帰国中に上原がつぶやいたことがある。当時、カブスからFAとなっており上原の所属球団は未定。FA市場も動きが鈍く動向が定まらなかった。

「もちろんメジャーが第1志望よ。日本復帰はないでしょ。来年アメリカでプレーしたら丸10年になるからね。日本でも10年プレーしたから、ちょうどキリがいいでしょ。スッキリ辞められるなと思ってね」

 ドッキリな引退表明に驚いていると「いつかは辞める時がくるからね。あとはいつ辞めるかだけよ。何を真面目に聞いてるん」と上原らしく、ハッキリした物言いで笑い飛ばされた。

 それからしばらくして、上原の巨人復帰が大きなニュースとなった。実質、上原にとって最後のシーズンとなったのは平成30年(18年)。同級生の高橋由伸監督の下でプレーした1年は新鮮だっただろう。わだかまりの残っていそうな巨人に上原が復帰する事実に驚いたファンも多いはずだ。

 今年になり開設した上原の公式ユーチューブチャンネルでは高橋前監督と対談し「ホンマに俺のこと必要やったん?」と屈託ない質問を投げかけている。15年ほど前のしかめっ面は今や昔の話だ。日米間に移籍に関する明確なルールもなく被害者となった上原には、今後のルール作りなどSNSを通して意見をどんどん発信してほしいと思う次第だ。 =この項終わり=

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