ソフトバンクのドラフト5位・田上奏大投手(履正社)が6日、ペイペイドームで入団会見した。高校で新型コロナウイルスの感染者が出たため、昨年12月の新入団会見を欠席していた。

 常勝軍団に投手転向わずか半年の18歳が加わった。かつて鷹の正妻としてベストナインにも輝いた田上秀則氏(現・大産大付監督)を叔父に持つドラ5ルーキー。千賀や甲斐といった育成入団組が球界を代表する選手に駆け上がったホークス。かねて一芸に秀でた素材型を育成ドラフトで指名し、充実した練習環境で磨き上げてきた。育成ではなく支配下での獲得に、田上に対する球団フロントの期待の大きさがうかがえる。

「別の選手を見に行ったんだけど、担当スカウトがぜひ見てくださいと。そしたら、ズドンというものすごいストレートを投げる剛腕がいてね。本当に未知数で『時間をかける選手』なんだけど、これは育成では獲れないんじゃないかと思った」。永井智浩編成育成本部長は、当時の胸の高鳴りを今も抑えきれない。

 鷹と田上の初接点はこうだった。担当の稲嶺誉スカウトが回想する。「岡田さんが『明日はちゃんと最後まで試合を見て行けよ』と」。昨夏、履正社・岡田龍生監督は田上を練習試合(京都・東山戦)で初登板させる前日に〝未知の大器〟の存在を匂わせていたという。

 目当ての他候補を確認して途中退席も頭をよぎった稲嶺スカウトだったが、名将の言葉がどうしても気になり待機。「そしたら、本当にとんでもないのが終盤に出てきまして…。それが最初でした」。

 プロがひと目でうなる逸材は、なぜ高3で投手に転向したのか。「中学まで投手をやっていたのもありましたし、大学に行ったら投手をやろうと。そういう考えがあった中で(春と夏の)甲子園がなくなって…。そしたら、じいちゃんから『やるなら早く始めたほうがいい』と勧められて、4月から投手の練習を始めました」。小学校から見守ってきた祖父・則一さん(67)は、かねて「孫は投手向き」と見抜いていた。

 祖父の言葉に背中を押され、岡田監督に転向を直訴。選手の考えと自主性を重んじる名将はすぐに聞き入れると、右腕からのシート打撃登板への申し出も快諾。DeNAにドラフト4位指名を受けた小深田大地ら主力メンバー相手に投げる機会を設けた。高校通算35本塁打の小深田の木製バットをへし折ると、球速は150キロ超えを連発。こうして、稲嶺スカウトへの〝売り込み〟につながった。

 祖父の勧めで投手転向を春に前倒しにし、名将の理解でチャンスを与えられた金の卵。転向わずか半年でNPB最強軍団から支配下指名を受けた18歳は、今後どんな運命を辿るのだろうか――。