【ID野球の原点】「ブレイザー信者」急増のきっかけとなった驚異のエンドラン理論

2020年12月29日 18時00分

ブレイザー流を会得し、意のままにゴロを転がした藤原。1976年は打率3割2厘、50盗塁をマークした

【ID野球の原点・シンキングベースボールの内幕(4)】野村克也氏の代名詞とも言えるのが、データを重視した「ID野球」。その原点となったのは南海時代にドン・ブレイザー氏が日本に持ち込んだ「シンキングベースボール」だった。「ブレイザーの陰に市原あり」と呼ばれた側近の市原實氏が、2007年に本紙で明かした内幕を再録――。(全16回、1日2話更新)


「なぜ、どうして、という疑問があったらいつでもオレに聞いてくれ。一つひとつのプレーには必ず理由がある。納得してプレーしていこうじゃないか」。1970年から監督に就任した野村の要請を受け、ブレイザーはヘッドコーチとしてさらなる頭脳野球を南海に広めていった。

 三塁ベースコーチに立ったブレイザーが得意とした作戦はヒットエンドラン。当時、南海は走者一塁からのエンドランを面白いように成功させチャンスを確実に得点に結び付けていった。

「オレがエンドランのサインを出したら、最後にどちらの手を握るかに注目してくれ」。ブロックサインを出し終わったブレイザーが右手を握ったら打者は二塁方向にゴロを転がし、左手を握れば遊撃方向にゴロを転がせばいい。それがボテボテのゴロであっても指示通りの方向にさえ転がせば、ヒットになった。つまり一塁走者がスタートを切った際、二塁手がベースカバーに入るのか、遊撃手が入るのかを確実に見極め、ガラ空きとなる方向にゴロを打たせたのだ。

「エンドランの際、相手二遊間のどちらが二塁に入るのかは観察すればすぐに分かる」。そう胸を張った彼は、試合中によく一塁走者に疑似スタートを切らせた。投球と同時にクロスオーバーで2~3歩走りだしてはストップするというもので、これはもちろん盗塁に備えた内野手の動きを観察するためだった。

 うかつな内野陣なら、どちらかが二塁ベースに入るしぐさをしてしまう。それは二遊間の「頭の動き」に注目していれば簡単に判別できた。だが、そんなスキを見せない慎重な内野陣に対した場合はどうすればいいのか…。それでもブレイザーは見事なまでに裏をかき続けた。

 その秘密は目の動きにある。「どんなに鍛えられた内野手でも、スタートの構えを見せられたら走者を一瞬、目で追ってしまうものだ。セカンドとショートのどちらの目が走者に反応して動いているのか…。それを注意深く観察していれば、どちらが二塁ベースに入るのかは必ず分かる」。ブレイザーはそんな「一瞬の目の動き」さえも見逃さなかったのだ。

 おかげで内野ゴロがヒットになり、打率がグングンと上がっていくのだから選手だって面白くなる。打撃練習では体勢を崩しながらも狙ったところへゴロを飛ばそう、という練習に取り組む選手が次々と出てきた。外角の変化球を片手1本でわざと引っ掛けてみたり、内角球を強引に逆方向へ――。その打ち方をいち早くマスターしたのは藤原満だろうか。チーム内にはそんな〝ブレイザー信者〟があっという間に増えていった。=敬称略=


 ☆いちはら みのる 1947年生まれ。千葉県出身。県立千葉東高―早稲田大学教育学部。早大では野球部に入部せず、千葉東高の監督をしながらプロの入団テストを受験し、69年南海入り。70年オフに戦力外通告を受け71年に通訳に転身する。79年に阪神の監督に就任したブレイザー氏に請われ阪神の守備走塁伝達コーチに就任。81年にブレイザー氏とともに南海に復帰すると、89年からは中西太氏の要請を受けて近鉄の渉外担当に。ローズ、トレーバーらの優良助っ人を発掘した。ローズが巨人に移籍した04年に編成部調査担当として巨人入団。05年退団。

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