まだあった追悼秘話 夜の仙台「ノムさん社長計画」

2020年12月19日 11時30分

2009年まで楽天を率いた野村監督

【球界平成裏面史・楽天09年編(1)】2020年早々、日本中が深い悲しみに包まれた。

「2月11日、野村克也さん死去。享年84」

 名選手にして名監督。その輝かしい成績、球界への多大なる功績の一方で、人間くさいエピソードの数々は野球ファン以外の人々をも魅了した。その「最後の輝き」ともいえるのが、楽天監督の最終年2009年。ワイドショーまで巻き込み“ノムさん劇場”と呼ばれたシーズンだろう。

 3年契約の最終年だった08年シーズン終盤にも続投要請を受け即受諾。契約の1年延長が決定したが、ノムさんはその当初からフロントに「(この1年で)引退の花道をつくってください」と“いかなる結果だろうと続投はなし”と言われていたことを明かし、日頃ボヤいていた。

 そんなボヤキもあって開幕早々、次期監督報道がたびたび出る異例の事態に。以前から取りざたされてきた古田敦也氏を筆頭に、当時ヤクルトの投手コーチだった、荒木大輔氏(現日本ハム投手コーチ)、そして4月中旬には野村監督自ら栗山英樹氏(現日本ハム監督)が候補に挙がっているとの情報を暴露。当時から「結果論でしか話せない」と、栗山氏をよく思っていなかったこともあり「(球団が)俺を辞めさせるのはいいけど、もし栗山っていうんだったら納得しないよ」とピシャリだったが、こういった試合前の雑談が、報道陣の“情報源”にもなっていった。

 さらに5月には当時の球団代表から「優勝して、来年も続投でいきましょう」と言われたことを暴露する。当時、野村監督はこう語っている。「そんな望まれていないような『優勝しなきゃ残れない』なんて評価は俺は嫌だよ。このチームに俺が必要か、必要じゃないかの問題だろ。人を見ていない証拠だよ」。球団代表は「あくまでも個人的感情」と釈明したが、こうしたやりとりもノムさんが態度を硬化していく一因となった。

 ちなみに…この時期、野村監督は沙知代夫人から“買い物禁止令”を言い渡されている。仙台市内の百貨店内のテーラーで、女性店員と会話に花を咲かせながらシャツやジャケットを仕立ててもらうのが、単身赴任するノムさんのストレス発散法だったが、日を追うごとにクレジットカードの請求額が増え、ついにサッチーからどやしつけられたというのだ。

 一方で仙台の繁華街・国分町に「ムシャクシャして」関係者と繰り出す回数も増加していた。監督業のストレスと孤独、容赦なく近づく自身の退任がそうさせたのか…。

 チーム内からは、そんなストレスたまりっぱなしの指揮官のボヤキ“暗黒化”を懸念する声も上がる一方、国分町の行きつけ店の関係者からは、ノムさんを「監督」ではなく「社長」と呼んで、気分良くなってもらおうというプランも浮上していた。

 実はノムさん、以前報道陣の前でもこんなことをボヤいていた。「社長っていいよな。実は昔『社長』って呼ばれたくて、会社をつくったんだけど(社長の座を)降ろされちゃって。知り合いの社長連中には『監督は日本で12人しかいないんですから』って言われたけど、やっぱり『社長』だよ。ゴロがいいもん」

 夜の街でもボヤいていたのか、当時、行きつけだった店の関係者いわく「監督が『社長』という響きがお好きらしい、というのを聞きまして。これから監督ではなく『社長』とお呼びしてはどうか、となりまして」。周囲も気遣うほどだったのかもしれない。

 まだ時は6月。しかし、ここから野村監督と楽天フロント陣とのミゾはさらに深いものとなっていった。=続く=

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