【藤井康雄「勇者の魂」(36)】2016年に優勝できなかったこと、工藤公康監督の考えもあって僕は17年から二軍の打撃コーチを任されました。監督も年上のコーチがやりにくかったのかもしれません。打つ方は任せてくれていたし、意見の食い違いはなかったし、成績も悪くなかったわけだけど、ちょっとずつ野球がわかって、監督もやりたいことというのが出てきたんでしょう。球団の判断もありますよ。

 6年一軍のコーチをやって、いずれオリックスに復帰、という気持ちも少し芽生えてきてはいました。ソフトバンクで学んだことを持ち帰ってもう一回、今度は古巣で優勝を味わいたいなっていうね。神戸に実家もあるし、帰る場所はオリックス、という思いもね。

 ソフトバンクは二軍の筑後の施設もすごくて、組織的に細かい。どんな育成をしていくか、この選手はウエスタンで何打席立たせる、とかね。シーズン前から育成方針ができている。二軍、三軍の争いもあるし、三軍から上がってきたり、悪ければ二軍から三軍に落ちることもあります。

 入れ替えによる競争意識があるのも強みですよ。三軍でも100試合くらいできるしね。韓国遠征、四国アイランドリーグに出たり…。二軍、三軍の壁というのがあるんですね。二軍、三軍はそれぞれ独立しているし、ミーティングもそれぞれやるので、僕らが三軍の指導をすることはないです。三軍の背番号3桁の連中は早く支配下になりたい気持ちが強いのでギラついていますよね。

 筑後の施設もすごいですよ。オリックスが大阪・舞洲の施設を造った時に筑後を参考にしたというけど、全然違いますよ。昼の食事もちゃんと調理人がいて料理もホークスの方がいい(笑い)。風呂も舞洲より7~8倍大きいし、プールみたい。練習場も駐車場も全部が広いんですよ。メインとサブの球場があるし、ウエスタンもタマスタにお客さんが何千人も入る。舞洲なんて合宿所の裏にあるだけで観客も少ないでしょ。ただ…ヤフオクから高速を使って福岡市内から1時間かかる(笑い)。だから夏場のナイターだと筑後のビジネスホテルに泊めてもらってました。

 福岡の生活はプライベートも充実してましたよ。福岡の人ってすごく親切なんです。コーチなのに知り合いの社長たちが集まって「藤井康雄後援会」を作ってくれて、食事をしたり、オフにゴルフをやったり…。みんな熱くて「こいつのためにやってやろう!」という人柄。本当にいい街だったし、楽しかったですよ。いれるもんならもっと福岡にいたかった(笑い)。

 7年間いて一軍コーチとして3回優勝し、最後の年は二軍コーチだったけど、一軍は優勝した。いろんな勉強ができて、いい思いをさせてもらい、いい選手に巡り合えた。人も選手も「熱男」が多かった。僕のやっていることは間違っていなかった。今度はオリックスで優勝したい…。

 ☆ふじい・やすお 1962年7月7日、広島県福山市出身。泉州高(現近大泉州)から社会人・プリンスホテルを経て、86年のドラフト4位で阪急に入団。長距離砲としてブルーサンダー打線の一角を担った。オリックスでも95、96年の連覇に貢献。勝負強い打撃が持ち味で、通算満塁本塁打(14本)は歴代3位。代打満塁本塁打(4本)は日本記録。2002年に引退後はオリックス二軍打撃コーチ、11年からソフトバンクで一軍打撃コーチを務め、18年にオリックスに一軍打撃コーチとして復帰。今年から総合建設業「共栄組」に籍を置き、JSPORTSの解説、神戸中央リトルシニア、関西創価で指導している。