
【昭和~平成 スター列伝】プロ野球で、その年もっとも活躍した先発投手を表彰する沢村賞に、両リーグ最多6完封をマークした中日・大野雄大が選ばれた。今年は巨人・菅野智之が開幕13連勝を記録しており、ハイレベルな争いとなったが、過去には圧倒的な成績を残しながら、不可解な落選となった投手がいた。
1981年、巨人・江川卓は最多勝(20勝6敗)、最優秀防御率(2・29)、最多奪三振(221)、最高勝率(7割6分9厘)、最多完封(7)の投手5冠に輝きリーグ優勝に大きく貢献。シーズンMVP、ベストナインに選ばれ、沢村賞も確実とみられていた。しかし、選ばれたのはライバル・西本聖だった。
キャンプ中に自宅でガス爆発があり、夫人が重傷を負うという悲劇に見舞われながらも開幕投手を務め、18勝12敗、防御率2・58をマーク。それでも江川と比べれば見劣りする。本人も沢村賞は想定外で「本当に冗談だと思ったし、今日からしばらくは信じられないでしょう」。
さらに「ボクの上にはすべてにおいて江川がいるから…。タイトルはほとんどあきらめていたんです…。それなのに、投手としては最高の勲章でもある沢村賞がボクに…。とても…」と、ひと言ひと言をかみ締めるように話した。
当時、沢村賞は記者投票で選出されており、これが“大番狂わせ”の要因となる。プロ3年目の江川はまだ入団時のダーティーイメージがリアルに残っており、沢村賞はふさわしくないと考えた記者が多くいたのだ。ところが、ファンからは「あまりに江川が気の毒だ」という声が噴出。翌82年から、過去の受賞者5人による選考委員が選ぶことになった。
発表から3日後の10月17日、日本ハムとの日本シリーズが開幕。西本は第2戦で完投勝利、第5戦で完封勝利と沢村賞に恥じぬ活躍でシリーズMVPに輝いた。一方、江川は第1戦こそ6回4失点と崩れたが、第4戦で完投勝利、第6戦は最後の飛球を自らキャッチして胴上げ投手となった。
その第6戦、江川がピンチを迎えるとスタンドから大「江川」コールが湧き起こったという。入団のいきさつからバッシングを受け続けてきた江川が、初めてファンに受け入れられた瞬間だった。沢村賞はライバルに譲ったが、逆に得たものも大きかった。(敬称略)
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