昭和33年の西鉄奇跡の大逆転V④ 舞台裏で交わされた名ゼリフ

2020年11月29日 10時00分

巨人・川上哲治㊨が日本シリーズ終了後に現役引退表明。㊧正力松太郎オーナー、㊥品川主計球団社長

【越智正典 ネット裏】昭和33年の巨人西鉄日本選手権第7戦。1回表一死、一塁走者に28年の新人王、ショート豊田泰光(水戸商業)。入団1年目に115試合で45失策。が、西鉄監督三原脩は使い続け「野武士」として育て上げていた。三塁ランナーに花井悠。中西太がウエイティングサークルからバッターボックスに、真っしぐらに向かって行った。前夜の雨が、あけ方にはやんだが後楽園球場の打席付近の土はやわらかかった。が、中西は足許を気にもしなかった。スパイクが土のなかに沈んでいるのが見えた。巨人の先発堀内庄のボール1の次の第2球は高かった。中西が叩いた…。

 往時、バット屋さんが球場にバットを売りにくると毎日の山内一弘をはじめ選手たちは、まるで町内に紙芝居がやって来たときの少年のように走り、むらがり、選んだ。中西太はいつも一抱えは買った。幸福だった。

 負けず嫌いの豊田は「へえー、おれんとこにはバット屋が出前で持ってくるぞ。(いいバットを)探したいヤツは探せ!」

 中西は右中間上段席に見事なアーチを架けた。先制3ランホームラン。巨人監督水原茂が藤田元司を投入する。左腕義原武敏(米子東高校)を繰り出す。大友工にスイッチする。巨人は稲尾を打てない。稲尾は驚異の2試合連続完投することになる。巨人0対6で9回裏になった。打席は新人長嶋茂雄からである。長嶋は稲尾の初球を叩いた。センター高倉照幸の左を破った。長嶋が走った。三塁を回り、猛スライディングで還って来た。

 よき時代のLAドジャースの監督トム・ラソーダは、選手たちに「打席は打つところではない。かならずここに還ってくると誓って立つところだ」と叱咤していたが、長嶋のランニングホームランがフィナーレであった。西鉄6対1。3年連続シリーズを制覇した。最高殊勲選手は稲尾和久。シリーズ4勝、防御率1・53。藤田元司は1・09。悲痛であった。表彰式が終わると一塁側、巨人のロッカールームのとなりのサロンで、川上哲治が記者団に囲まれていた。

「皆さんに聞かれましたのでお答えしますが、許されるならば」と、謙虚に前置きして「今シーズンかぎりで第一線を退きたい。ファンのみなさんに可愛がっていただいた背番号『16』を汚さないうちにお返ししたい…」

 生涯記録7500打数2351安打、打率3割1分3厘。首位打者5回。最高殊勲選手3回。一度打席に入ったら決して外さなかった「不動の4番」「弾丸ライナー」「打撃の神様」は、もう脚が言うことを聞かない。自転車のタイヤのチューブでしばり上げて戦っていた。テーピングで治療などという時代ではない。

 西鉄監督三原脩の優勝インタビューが始まった。「わたしはいま、職業野球の開祖、球聖、沢村栄治君を想起しています…」。冒頭、プロ野球の歴史を挙げ、格調高かった。不世出の大監督である。33年10月21日のことである。 =敬称略=

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