【藤井康雄連載コラム】16年間プレーし40歳で引退 使ってくれた仰木さんらに感謝

2020年11月25日 11時00分

まだまだできたのに…無念の引退会見に臨む

【藤井康雄「勇者の魂」(24)】僕の現役最後の年となった2002年は石毛宏典さんの監督1年目でした。時期はずれていても社会人のプリンスホテルの先輩だし、頑張らなきゃって思っていました。石毛さんって、監督というよりコーチみたいな指導なんですよ。教えたがりで、口うるさいところもある。西武時代は選手としてリーダーシップをとってみんなを鼓舞していた人でしたけど、監督になっても変わらず、一緒になって動く。どっしり構えているタイプではなかったね。

 仰木彬さんの後を任され、新鮮さはあっても戦力的に落ちていたし、悪い時に来られたというか、申し訳なかったですね。ドラフトも契約金ゼロの「数取りゃいい」っていうやり方をした後だったし、手駒がなく、力のない選手が試合に出ていたというか…。オリックスはあのあたりから選手が育たず、レギュラーが確立されにくくなったと思います。

 ベテランとしてチームを引っ張ってほしい、と僕にも期待してくれていたと思います。先輩のために頑張らなきゃ、と思っていたけど、そのシーズンは前半から結果が出ない。ずっと打率1割台が続き、夏場に二軍落ち。調子が悪くての二軍落ちは初めての経験でした。そこから10日で上がってやろうと思い、10試合くらいで5発くらい打ってたんです。

 終盤戦でようやく一軍に上がっても結果は出ず、シーズン終わりにフロントに呼ばれました。「引退するか、自由契約になるか。1日~2日で決めてくれ」。成績が悪かったから契約は微妙と思っていたけど、自分では40歳でもやれる自信はあったし、やりたかった。それが…引き際というか、やらせてくれなかった。

 ケガもないし、とにかく体は元気。でも40歳で他で獲ってくれるところはないだろうと…。オリックス一筋で来ていたんで骨をうずめようと思い、辞めることに決めたんです。10月13日に神戸で引退試合をやってもらった。40歳まで、16年間もプレーできた。やっていく中で一年一年「まだいける。まだいける」って思って、それが積み重なっての40歳ですよね。

 通算本塁打は282本。タイトル取れるチャンスは2度ほどあったけど、取れなかった。2番手で終わるのが自分らしいのかな、とも思いますよ。でも代打満塁本塁打4本の日本記録は今でもいろんな人にすごいって言ってもらえるのでありがたいですよ。

 通算満塁本塁打14本も、野村克也さん、門田博光さん、山本浩二さん、長嶋茂雄さんら、歴代の大打者を超えることができました。そこは使ってもらった仰木さんらに感謝です。最後の方は代打の切り札として満塁のシチュエーションで出してもらって日本記録を作れたわけですから。そのシチュエーションを自分で楽しめた、というのが大きかったですね。

 翌年から僕は二軍打撃コーチに就任し、新たな苦悩の日々が続きます。

 ☆ふじい・やすお 1962年7月7日、広島県福山市出身。泉州高(現近大泉州)から社会人・プリンスホテルを経て、86年のドラフト4位で阪急に入団。長距離砲としてブルーサンダー打線の一角を担った。オリックスでも95、96年の連覇に貢献。勝負強い打撃が持ち味で、通算満塁本塁打(14本)は歴代3位。代打満塁本塁打(4本)は日本記録。2002年に引退後はオリックス二軍打撃コーチ、11年からソフトバンクで一軍打撃コーチを務め、18年にオリックスに一軍打撃コーチとして復帰。今年から総合建設業「共栄組」に籍を置き、JSPORTSの解説、神戸中央リトルシニア、関西創価で指導している。

関連タグ: