【藤井康雄連載コラム】代打稼業満塁本塁打4本で日本記録に!「満塁男」の異名がついた

2020年11月19日 11時00分

本塁打で三塁コーチの仰木監督(左から2人目)らがお出迎え

【藤井康雄「勇者の魂」(22)】プロに入って球が速いと思ったのは、西武・郭泰源、渡辺久信、日本ハム・西崎幸広、近鉄・阿波野秀幸(中日投手コーチ)あたりですね。でもスピードには対応できたし、左も嫌ではなかったし、苦手投手はいなかったですよ。どんな球にも対応できたし、ベテラン投手の球なんか「こんなもんか」って。

 遠くに飛ばすことに自信を持っていた僕は満塁にも強かった。満塁本塁打14本は歴代3位、代打満塁本塁打は4本でこちらは日本記録。4本のうちの3本は2001年に打ったものです。いつしか「満塁男」と呼んでもらえるようになりましたけど、最初のころは満塁を「チャンスはピンチ」くらいに思ってしまって…。もちろん失敗も多かっただろうし、若いころは満塁をよりプレッシャーに感じていたと思います。それが打てるようになれば自信につながってくる。

「いいとこ見せよう」「ここで打ったらファンが喜ぶぞ」っていう感覚ですね。最初は有名になりたいとか、おカネを稼ごうとか思うけど、それが「ファンを喜ばそう」という考えに変わると、チャンスが心地よくなってくるんです。走者がいないよりいる方が程よい緊張感になる。それで満塁本塁打が増えていくと相手が「満塁で藤井は嫌だなあ」と意識するようになる。そうすると俺でこの試合、決めれるんじゃないかって…。

 通算のサヨナラ安打も12本(うち本塁打7本)打っているし、1997年10月9日のダイエー戦では9回一死から代打で同点本塁打し、続く延長11回に二死からサヨナラ本塁打を打ったこともありますよ。あくまでも自分が緊張するのではなく「ここで打ったらファンが喜ぶぞ」という感覚ですね。16年間のプロ生活の半分以上はお客さんを楽し
ませるという感覚で野球をやっていたかな。

 印象に残っているのは、14本目(代打満塁本塁打の4本目)を打った2001年9月30日の神戸でのロッテ戦ですね。3―6で負けていた9回、小林雅英から打って7―6のサヨナラ勝ち。いわゆる「お釣りなし」というやつでしたね。

 でも…。その4日前の26日、近鉄戦(大阪ドーム)で僕らは北川博敏にミラクルの一発を見せられていたんです。代打逆転満塁サヨナラ優勝決定本塁打…。最後は流れが近鉄に行っていたし、やばい雰囲気はありました。でも北川が呼ばれた時もまさかあそこで本塁打とまでは思わない。やられた、ここで打つか、と…。胴上げの瞬間は見たくないですよ。

 30日のロッテ戦の僕の一発は北川が打った後の消化試合。完全にそっちに持って行かれたし、おまけにその日って長嶋茂雄さんが巨人監督を退任した日、あとベルリンマラソンで高橋尚子が世界記録を出した日でもあったんです。だからますます目立たなかったねえ(笑い)。

 ☆ふじい・やすお 1962年7月7日、広島県福山市出身。泉州高(現近大泉州)から社会人・プリンスホテルを経て、86年のドラフト4位で阪急に入団。長距離砲としてブルーサンダー打線の一角を担った。オリックスでも95、96年の連覇に貢献。勝負強い打撃が持ち味で、通算満塁本塁打(14本)は歴代3位。代打満塁本塁打(4本)は日本記録。2002年に引退後はオリックス二軍打撃コーチ、11年からソフトバンクで一軍打撃コーチを務め、18年にオリックスに一軍打撃コーチとして復帰。今年から総合建設業「共栄組」に籍を置き、JSPORTSの解説、神戸中央リトルシニア、関西創価で指導している。
    

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