【藤井康雄連載コラム】ドラフト4位で阪急に入団 社会人経験が生き即戦力に

2020年11月18日 11時00分

1986年のドラフト4位で阪急に入団(後列左から2人目)

【藤井康雄「勇者の魂」(21)】1986年、僕は24歳ということでドラフトもラストチャンスと思っていました。6年間、東京にいたので在京球団がいいなと…。西武は清原和博が入ったから絶対ないだろうし、ヤクルトか大洋ならすぐ試合に出られるんじゃないかとかね(笑い)。いくつかの球団のリストに挙がっているというのは聞いていました。ところが…。

 阪急のドラフト4位ですよ。阪急のことなんて山田久志さん、福本豊さんくらいしか知らない。やったー、とはならなかった(笑い)。レベルが高くて格のあるプリンスホテルなのに4位かあ…というのも正直ありました。でも、石山建一監督をはじめ、親にも相談するとみんな「行ってこい」と言ってくれる。ドラフトにかかるなんて、こんな光栄なことはないと。今年がラストチャンスだし、時間がたつにつれて踏ん切りがつきました。

 阪急に入団し、練習に参加しても不安はありません。想定内というか、こんなもんかな、と。高校から入ったらえらい世界に来たと思ったでしょうけど、社会人を6年経験したおかげできつい練習にもついていけないとは思わなかったですよ。投手が投げるボールに対応ができた。24歳だったけど、同期の同じ年で本西厚博、山越吉洋がいたので焦ることもなく「全日本トリオ」で話題にしてもらったりもありました。ただ1年目から即戦力でやらなきゃ、というのは思っていました。

 当時の打撃コーチ、住友平さんにはほとんど何も言われなかった。フリー打撃も他の選手より飛ばすし、高校からそうだったんですけど、指導者から見たら4番で使いたくなるんでしょうかね。社会人の5年目くらいから変化球対応もできていたし、プロでもああしろ、こうしろはなかったんです。迷いがなく、ある意味「出来上がっていた」と思います。何か言われても聞かなかったでしょう。

 体重を軸足に乗せて「割り」(上半身と下半身が反対方向の動きになること)をつくってスイングする。ストレートを待って変化球に対応する。プリンスホテル時代にこのコツをつかんでいたんですね。プロでも自信ができていき、打球を飛ばせた。それを住友コーチに触られなかったからよかったと思っています。

 僕は小学校のころからソフトボールで飛ばし屋だったし、体も大きかった。ティー打撃みたいな感じで間を抜けたらホームラン。右翼の向こうの校舎の屋根に当てたり、窓を割ったりしていたんです。中学になると肩の強いやつ、足の速いやつとか、もっと上がいる。でも遠くに飛ばすやつはなかなかいないので、それがずっと自信でしたね。

 プロの世界でも自分のスイングをしたら右中間から右翼方向に勝手に打球が飛んでいく。見たことのない球を投げる選手はいても、対応はできた。苦手投手は…いなかった。

 ☆ふじい・やすお 1962年7月7日、広島県福山市出身。泉州高(現近大泉州)から社会人・プリンスホテルを経て、86年のドラフト4位で阪急に入団。長距離砲としてブルーサンダー打線の一角を担った。オリックスでも95、96年の連覇に貢献。勝負強い打撃が持ち味で、通算満塁本塁打(14本)は歴代3位。代打満塁本塁打(4本)は日本記録。2002年に引退後はオリックス二軍打撃コーチ、11年からソフトバンクで一軍打撃コーチを務め、18年にオリックスに一軍打撃コーチとして復帰。今年から総合建設業「共栄組」に籍を置き、JSPORTSの解説、神戸中央リトルシニア、関西創価で指導している。
    

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