【藤井康雄連載コラム】楽しい中にも厳しさを持ち合わせていた仰木イズム

2020年11月13日 11時00分

選手を大人扱いしてくれた仰木監督

【藤井康雄「勇者の魂」(19)】1996年にリーグ連覇したオリックスは日本シリーズでも巨人を4勝1敗で下し、神戸で日本一を達成できた。その瞬間は全国民の中で俺が一番幸せなんじゃないか、と思うくらいでした。

 仰木彬監督の印象もずいぶん変わりましたよ(笑い)。最初は日替わりオーダーに戸惑って「なんで俺を使わないんや」だったけど、徐々にあの人のやり方で結果が出るし、勝っていく。データを駆使して誰が最適なのかを考え、それが個々の選手のプラスアルファに傾いていくわけです。苦手な投手の時に出ると、打てなくて成績が下がってしまうかもしれないけど、打ってる投手の時だと心のゆとりが出てくる。そうなると認めるというか、この人すごいなってなりますよ。そうならざるを得ないでしょう。

 門限はないし、選手を自由に大人扱いしてくれる。選手を信頼してくれる。それが仰木野球だったと思います。その前の土井正三さんは巨人時代の細かいルールを持ち込んでうるさく言ったので反発が多かったわけですけど、仰木さんは夜中2時くらいでも「もう帰ってきたんか」って言うくらい(笑い)。ある後輩の投手なんか「お前ら帰ってくるの早いわ。もう1回出てこい」ってカネ渡されたって(笑い)。

 野球以外のことは何もとがめられないからありがたかったですよ。自由に出ていって自由に帰ってきて…野球さえしっかりやっとけば、というね。上田利治さんとはまた違う豪快さがありました。上田さんはずっと野球に気持ちを入れっぱなしの勝負師で、仰木さんはスイッチのオン、オフの切り替えがしっかりあった。

 ふだん仰木さんと話すことといえば「おう、昨日はどこ行ってたんや」「どこどこの店です。遅かったです」くらい(笑い)。ありがたかったのはね、2001年だったかな、札幌円山球場での試合でした。札幌ってライブハウスをやっている僕の親戚がいて、その日は店のお客さんらとたくさん見に来てくれてたんです。でも僕はスタメンじゃなかった。その時、仰木さんは三塁コーチをやっていたんで客席から「おーい、藤井を出せー」なんて声が飛んで、仰木さんも「まあ、まあ、わかっとるよ」みたいなジェスチャーして(笑い)。それで試合終盤に満塁の場面で僕が代打でホームラン打ったんですよ。そっから仰木さん、大人気ですよ(笑い)。

 長くコーチもされていたし、データだけでない、勝負勘というものがありますね。近鉄時代の仰木さんって三塁コーチとしてベンチからのサインを一度も間違えたことがないらしいんですよ。1試合に何度かあるもんなんで、これってすごいことなんですよね。

 でも…ベンチ裏でミスした選手をどついていたこともありますよ。みんなにそうではなく、その選手のことを考えてのことで、操縦術ですよ。楽しい中にも厳しさを持った監督でしたね。

 ☆ふじい・やすお 1962年7月7日、広島県福山市出身。泉州高(現近大泉州)から社会人・プリンスホテルを経て、86年のドラフト4位で阪急に入団。長距離砲としてブルーサンダー打線の一角を担った。オリックスでも95、96年の連覇に貢献。勝負強い打撃が持ち味で、通算満塁本塁打(14本)は歴代3位。代打満塁本塁打(4本)は日本記録。2002年に引退後はオリックス二軍打撃コーチ、11年からソフトバンクで一軍打撃コーチを務め、18年にオリックスに一軍打撃コーチとして復帰。今年から総合建設業「共栄組」に籍を置き、JSPORTSの解説、神戸中央リトルシニア、関西創価で指導している。
    

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