【藤井康雄連載コラム】ヤクルトからの重圧で十二指腸潰瘍に(笑い)

2020年11月11日 11時00分

日本シリーズは“野村ID”の術中にはまった

【藤井康雄「勇者の魂」(17)】1995年の日本シリーズの相手は野村克也監督率いるヤクルト。僕は戦う前から野村“ID野球”のイメージが頭に膨らみ、めちゃめちゃプレッシャーになっていました。「俺の何を丸裸にしているのか」っていう…。

 日本シリーズまでの間は高知の黒潮リーグに参加して調整をしていたんだけど、当然ヤクルトの偵察の人もいるし、いろんな情報が耳に入ってくる。それで精神的にやられてしまって、十二指腸潰瘍になったんですよ(笑い)。こんなのプロになって初めて。ID野球を恐れていた選手は僕だけじゃなかったと思うし、そういうところから、もう負けていたのかもしれないですね。

 古田敦也はどんな攻め方をしてくるんだろう、とか考えちゃってね。毎晩、夜中におなかが気持ち悪くなって、便器の前に15分くらいいて…。戻しても胃液しか出てこないし、胃が荒れてしばらく治らなかったんですよ。初めての日本シリーズの経験でもあるし、完全にやる前から向こうにのまれていました。

 初戦(10月21日)は地元神戸だったんですけど、平常心ではなかったし、気持ちはおかしいままでした。みんなが意識して考えすぎで…。向こうはとにかくイチロー封じを考えていて、インコース高めを意識させ、案外普通の攻め方をする。野村さんはシリーズ前のスポーツ番組でもインコース攻めの話をしていたし、それも作戦だったと思います。

 3連敗で後がなくなった神宮での第4戦(25日)では、延長10回に小林宏(オリックス二軍監督代行)がオマリーに執念の投球を見せた「小林の14球」があり、12回のD・Jの勝ち越し弾で何とか1勝できた。後がないところで小林の気迫の投球でした。本当なら1つ勝って乗っていけるはずだったけど、26日の第5戦も敗れ、1勝4敗で終わってしまいました。試合にも心理戦にも完全に負けちゃいましたね。

 終わってみたらバッテリーの配球も「意外と普通の攻めじゃん」っていう。いかにこちらが過剰に意識してしまっていたかということでしょう。向こうはイチローを抑えろ、というのがあったし、こちらもイチロー頼みじゃダメだな、というのは感じましたね。

 シーズンも神戸で優勝できず、日本シリーズもかなわなかった。神戸で決めなきゃ、という気持ちが翌96年はより強くなっていました。戦力は整っていたし、優勝を目標とする戦う集団になっていたと思います。チームワークという89年ごろのブルーサンダー打線になかった部分が加わった。個人で打った打たないよりもチームがいかに勝つか。僕も試合によって先発したり、控えをする中で自分の役割をしっかり考えるようにしました。
 96年は日本ハムと首位争いを繰り広げ、オリックスがマジック2で迎えた9月22日、
日本ハムと直接対決になって…。

 ☆ふじい・やすお 1962年7月7日、広島県福山市出身。泉州高(現近大泉州)から社会人・プリンスホテルを経て、86年のドラフト4位で阪急に入団。長距離砲としてブルーサンダー打線の一角を担った。オリックスでも95、96年の連覇に貢献。勝負強い打撃が持ち味で、通算満塁本塁打(14本)は歴代3位。代打満塁本塁打(4本)は日本記録。2002年に引退後はオリックス二軍打撃コーチ、11年からソフトバンクで一軍打撃コーチを務め、18年にオリックスに一軍打撃コーチとして復帰。今年から総合建設業「共栄組」に籍を置き、JSPORTSの解説、神戸中央リトルシニア、関西創価で指導している。

関連タグ: