【藤井康雄連載コラム】「神戸で胴上げを」ナインの思いは一つだったが…

2020年11月10日 11時00分

マジック1からの4連敗で地元胴上げが消えた
マジック1からの4連敗で地元胴上げが消えた

【藤井康雄「勇者の魂」(16)】阪神・淡路大震災から2か月半がたった1995年4月1日、オリックスは地元グリーンスタジアム神戸で開幕を迎えました。「こんな時にお客さんが来るのかな」と思っていたら満員。被災された人のためにやらなきゃ、というのもあったし、お客さんも一緒に頑張れる存在が欲しかったのかな、と感じました。

 開幕戦も勝利し、チームはなぜかわからないけど勝っていく。本当にそうで、神がかったような試合もあった。今日はもうアカンな、という展開で逆転したり、力以上のものが出る試合が何試合もあったんです。優勝する時ってそうでしょう。4月21日には野田浩司がロッテ戦(千葉)で19奪三振の日本記録を作るし、8月26日の近鉄戦(藤井寺)では佐藤義則さんが40歳でノーヒットノーランを達成しました。

 このまま神戸で胴上げしたい。ここで見せたい、それがみんなの思いだったですね。それが…マジック1で迎えた9月14日の神戸での近鉄戦に敗れ、翌15日からは神戸でロッテと3連戦。どこかで決まるだろう…と思っていても、それが1つ負け、2つ負けとなってプレッシャーがすごく大きくなっていきました。

 みんなガチガチ。最後の17日は佐藤さんが先発し、ベテランの岡田彰布さんがスタメンでヒットを打った。佐藤さんが試合をつくったんだけど、抑えの平井正史(オリックス二軍投手コーチ)が打たれて逆転負け…。マジック1からのまさかの4連敗で地元胴上げができなかったんです。

 平井はベンチに帰るのも嫌なほどだったらしいんだけど、僕も含めてみんな優勝を逃したくらいの落ち込みようで…。震災があって、喜んでもらう絶好のチャンスにできなかったという申し訳なさですよね。その4連敗は野球やっていて味わったことのない特別なプレッシャーでした。

 移動日を挟んで19日は西武とのビジター試合。まだ気持ちは切り替わってなくても試合が始まるとイチローが本塁打して点差もつき、気持ちも高まってきました。ウイニングボールを僕が捕って優勝が決まり、テレビ出演していると、神戸の街の様子が映し出された。すごく喜んでくれているシーンを見てよかったなあ、と…。あんな震災の中で、しかもその年に優勝するってないでしょう。神戸のあの4試合があの年の肝でしたね。決められなかったというのがまたドラマというか、翌年への続きになったのかなあって思います。

 日本シリーズは野村克也監督率いるヤクルトが相手。ここまで来たら今度こそ神戸で…という思いでした。僕らは9月19日にリーグ優勝が決まり、日本シリーズの10月21日まで時間がすごく空いたんです。その間、高知・黒潮リーグで調整したんですけど、自分の頭の中で「野村ID野球」というものにすごく重圧を感じてしまってね。自分は丸裸にされているのかと…。

 ☆ふじい・やすお 1962年7月7日、広島県福山市出身。泉州高(現近大泉州)から社会人・プリンスホテルを経て、86年のドラフト4位で阪急に入団。長距離砲としてブルーサンダー打線の一角を担った。オリックスでも95、96年の連覇に貢献。勝負強い打撃が持ち味で、通算満塁本塁打(14本)は歴代3位。代打満塁本塁打(4本)は日本記録。2002年に引退後はオリックス二軍打撃コーチ、11年からソフトバンクで一軍打撃コーチを務め、18年にオリックスに一軍打撃コーチとして復帰。今年から総合建設業「共栄組」に籍を置き、JSPORTSの解説、神戸中央リトルシニア、関西創価で指導している。

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