巨人・坂本さらなる偉業3000安打へ…〝球界の父〟伊原春樹氏が三塁コンバートを提言

2020年11月09日 05時15分

今年の2月キャンプで沖縄を訪れ、巨人・坂本(右)と談笑する伊原氏

【新・鬼の手帖】巨人・坂本勇人内野手(31)が8日のヤクルト戦(東京ドーム)で史上53人目となる通算2000安打を達成した。31歳10か月での到達は榎本喜八(東京=現ロッテ)の31歳7か月に次ぐ史上2番目の年少記録で、右打者では最年少だ。2007年の入団から4年間、ヘッドコーチとして見守り、坂本の〝球界の父〟を自任する本紙専属評論家の伊原春樹氏が祝福メッセージを送るとともに3000安打の偉業を達成するための〝秘策〟をアドバイスした。

 

 勇人、2000安打達成、本当におめでとう。ただし、これはあくまでも通過点だ。目指すは3000安打だぞ。

 私が巨人ヘッドコーチに就任した2007年、ドラフト1位で入ってきたのが勇人だった。申し訳ないが、あの当時はまさか2000安打を打つ選手になるようには見えなかった。

 青森・光星学院高から入団したばかりの勇人は、まだ体もできていなかった。群を抜いて足が速いわけでもなければ、特別に体が頑健だったわけでもない。こちらは普段からプロの最前線で小笠原やラミレスといったバリバリやっている選手を見ていたから、余計にそんな印象をもったのだろう。

 これは…と思わされたのが、1年目の07年9月6日の中日戦(ナゴヤドーム)だった。優勝争いの真っただ中で、延長12回二死満塁から代打で出た勇人は、詰まりながら中前に落ちる決勝の2点打を放った。劇的なプロ初安打初打点に「持ってるな」と思ったものだ。

 あの一本があったから、勇人は翌08年のキャンプで一軍に呼ばれるチャンスを手にした。開幕戦で二塁スタメンに抜てきすると、その試合で遊撃手の二岡(現巨人三軍監督)が試合中に負傷して長期離脱した。そこから勇人が遊撃のレギュラーに定着したわけだが、そもそものキッカケはあの初安打にあった。

 今でこそキャプテンを務め、すっかり責任感も強くなったが、若い頃はヤンチャなところもあった。10年に長野(現広島)が入団したが、勇人にとってはいい兄貴分だったのだろう。2人は常に一緒だった。ただ、練習中に2人でヘラヘラ笑っていたり、気が抜けたプレーをした時にはあえて長野と勇人を2人とも呼びつけた。

 そこでは私は決まって長野に厳しく言うことにしていた。年上の長野が叱られれば、勇人を直接怒るよりも効果があると思ったから。2人に「お前たちは将来、ジャイアンツを背負う選手になる。だからどんな時でも人の目を意識しないといけない。練習から全力でプレーし、他の選手以上に努力する必要がある」と説教したのが昨日のことのように思い出される。

 今年は春先にインフルエンザに2度かかり、開幕直前に新型コロナによる入院もあり、体調面は最悪だったと思う。左脇腹の違和感や右足の張りから5試合でスタメンを外れた。それでも乗り越えられたのは、メンタルの強さだ。人よりも2倍…いや、3倍は強い。

 勇人も来月14日で32歳になる。これから3000安打に到達するには、これまで以上に体のケアが必要だ。腰が強くないこともあり、本拠地・東京ドームの人工芝は負担が大きい。当然、数年先には遊撃からのコンバートも真剣に考えないといけないだろう。一塁、三塁、外野…。首脳陣も考えているだろうが、個人的には三塁がベストだと思う。守備でのリズムが打撃につながることを考えれば、動きが少ない一塁より三塁の方が勇人には適している。ハンドリングの良さはホットコーナーでも生きるはずだ。そのためには勇人に代わって遊撃を守れて、打撃面でも信頼できる後継者の育成も必要だろう。

 張本勲さんが持つ日本記録の3085安打を抜けるのは勇人しかいないと思っている。そのためには、1日でも長くグラウンドで元気な姿を見せてほしい。(本紙専属評論家)