昭和33年の西鉄奇跡の大逆転V① 舞台裏で交わされた名セリフ

2020年11月08日 10時00分

西鉄・三原監督(左)と巨人・水原監督(1958年)

【越智正典 ネット裏】長嶋茂雄が巨人に入団した昭和33年の日本選手権は3年連続で巨人―西鉄の対決となった。巨人は31年、32年と西鉄に敗れている。33年10月11日、後楽園球場での第1戦、巨人9対2。第2戦巨人7対3。西鉄はまさかの連敗だった。

 舞台は平和台球場へ。日本シリーズはまだナイターの時代ではない。10月12日、日本シリーズ主催のコミッショナー事務局の計らいで両チームとも2班に分かれて移動した。

 第2班が乗車していた「はやぶさ」が東京駅を発車すると、待ってましたとばかりに関口清治、中西太、豊田泰光…ら西鉄ナインが、どやどやと食堂車にやって来て飲み始めた。ボーイさんがビールの空きビンを片付けるのに忙しかった。

「弱いチームなんだ。いまなら近鉄にも負けるわ」「これでこれから巨人の連中にお高く止まられるのか!」。やけのやんぱちライオンズであった。

 このとき、1号車では4番打者川上哲治が「はやぶさ」の事務車掌に最敬礼していた。

「ご厄介をおかけします。なんとか、なりませんでしょうか」。遊撃手広岡達朗が川上に「この席はダメなんです」。訴えるように言ったのである。広岡は乗車券と、A1の寝台席券を持っていたのだが「お客さまにはまことにお気の毒でございますが、このA1は横浜から乗車されるお客さまのです」

 広岡が差しだした封筒には「広岡達朗様」と上書きされていたが、A1はA1でも「はやぶさ」の前にすでに発車していた「あさかぜ」の寝台席券であった。

 川上はまた頭を下げた。「そうですね。静岡を過ぎましたら『特二』をやり繰り出来るかも知れません」。川上は午後9時22分まで通路に立ちどおしであった。特別二等車、いわゆる「特二」が取れた。川上はいちばんうしろの増結寝台車輛へ行って、投手小松敏広と捕手竹下光郎を起こし、わけを話して「特二」へ移るように言った。

 翌朝である。川上は小松と竹下の席に行き「オハヨー。よく寝れたか!」。思い出してみると、このときが川上が、のちに巨人軍監督としてあのV9の大記録、プロ野球不滅の大金字塔を打ち立てることになる所以のひとつである。

 10月14日、シリーズ第3戦、平和台球場での第1戦、巨人1対0。藤田元司が力投した。藤田はこの日も、アンダーシャツを一枚だけ持って戦いに臨んだ。藤田は試合中にシャツを着替えたことがない。鍛え抜いているから汗をかかない。一枚持って行ったのは念のためである。

「主戦が二度沈められたときにシリーズは終わる」。三原の持論だが、稲尾は敗れ2敗となった。三原は選手を集め訓示した。

「われわれの敗北はすでに決まっている。王者らしく戦い抜いて堂々と敗れようではないか」

 三原は待機していた報道陣をスリ抜けたが、早大の後輩、評論家南村侑広(旧名不可止)とスレちがったときに烈々「まだ首の皮が一枚残っておる」。 =敬称略=

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