【藤井康雄連載コラム】イチローの第一印象は「かわいらしいヤツ」

2020年10月29日 11時00分

94年に登場した新星・イチロー

【藤井康雄「勇者の魂」(11)】1994年、仰木彬監督が就任された。新しい監督が来る時って不安と期待、どんな野球をされるのかっていうのがありますよね。データ野球というのは戸惑いがありますよ。調子の良しあしより、相手との相性で判断される。仰木さんはいつも「思い切ってやってくれ。勝ち負けはすべて俺が責任取るから」が口ぐせでしたね。

 最初はレギュラーで使ってくれてたんです。でも対戦成績で傾向が出てくるようになると、前日にヒットを打っても翌日は外されるということがある。ずっとレギュラーを張ってきていたし、腹立って腹立ってしょうがなかった(笑い)。その投手を打っている打ってないで判断されるのはねえ。理由も何も説明されたことはないし。

 でもね。試合で勝てるようになってくると、こういう野球もいいんじゃないか、と思えるようになるし、慣れてきて「あ、明日は俺はないな」とわかるようになる。そういうスタイルが確立されて選手も順応するようになってくるんですね。出た時には結果をしっかり出そう、と考える。

 その年は阪神でスターだったベテランの岡田彰布さんが移籍して来られた。我が道を行くというか、若い選手からしたらとっつきにくかったんじゃないかな。僕もあまり交流はなかったですね。将棋が好きでオリックスのロッカーに将棋盤を持ち込んだ人(笑い)。将棋仲間とは仲が良かったんじゃないですかね。

 岡田さんはどんな場面でも平常心で、よっしゃ、という場面でもテンションが同じなんです。ここ一番の集中力はすごいし、百戦錬磨という感じかなあ。後年、僕が打撃コーチで行ったころのソフトバンク・小久保裕紀みたいな…。若い選手を鼓舞して引っ張っていくタイプではなかったねえ(笑い)。

 その年は3年目のイチローがブレークしました。最初に彼と話したのは…僕がオフに山森雅文さんと自主トレで神戸の球場の周りを走ってた時、高卒ルーキーの彼が1人で走っていたんです。「新人の鈴木です」と言うんで「そうか、鈴木君か。練習厳しいけど、無理せんようにな」なんて言って(笑い)。その時のことは覚えているよねえ。かわいらしい印象でした。

 その後、二軍でめちゃめちゃ打っているという話は聞いてて、二軍の試合を見る機会があったんです。そしたら普通の遊ゴロを内野安打にしてた。「センター前ならいつでも打てます」って言ってるらしいと…。高卒1年生ですごい打撃ができるという印象でしたね。

 1年目の92年、93年に一軍に上がってきた時はまだ振り子打法ではなく、普通に足を上げて打つ感じですね。東京遠征の時は食事をごちそうしてあげたこともありました。93年6月には新潟で近鉄・野茂英雄からプロ1号を打った。でもその後、土井正三監督は彼を二軍に落としたんですよ。

 ☆ふじい・やすお 1962年7月7日、広島県福山市出身。泉州高(現近大泉州)から社会人・プリンスホテルを経て、86年のドラフト4位で阪急に入団。長距離砲としてブルーサンダー打線の一角を担った。オリックスでも95、96年の連覇に貢献。勝負強い打撃が持ち味で、通算満塁本塁打(14本)は歴代3位。代打満塁本塁打(4本)は日本記録。2002年に引退後はオリックス二軍打撃コーチ、11年からソフトバンクで一軍打撃コーチを務め、18年にオリックスに一軍打撃コーチとして復帰。今年から総合建設業「共栄組」に籍を置き、JSPORTSの解説、神戸中央リトルシニア、関西創価で指導している。

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