【藤井康雄連載コラム】阪急の大スター・山田さんと福本さんは対照的

2020年10月28日 11時00分

スター選手だった山田(左)と福本は揃って引退した

【藤井康雄「勇者の魂」(10)】阪急ブレーブスが終わった1988年には、黄金期を支えた山田久志さんと福本豊さんの2人の偉大な選手が引退されました。僕は2年間、一緒にプレーさせてもらいましたけど、山田さんが投げている時に一塁に入るのが怖かった(笑い)。もちろん、エラーするのもそうだけど、けん制球が来て、それを山田さんに投げ返すのが…。「いい球を返さなきゃ」って思いすぎてイップスになりそうなくらいでした(笑い)。別に返球がそれて怒られたりはしないけど、存在感がすごかった。

 独特のオーラをまとっている。近寄りがたいというより「スター」なんですよ。とにかくかっこいい。駆け出しの僕とは立場が違いすぎて接点もほとんどないですけど、覚えているのはキャンプ前に山田さんが「今年は200万くらい使おうか」って言ってたこと。「えっ、キャンプ1か月で200万も使うの!? 飲み食いで?」って思った。プロってそんな世界なんだって思って驚きました。社会人時代の僕の年俸じゃんって。

 キャンプ前の合同自主トレも山田さんくらいになると来ないんです。1月の終わりになって西宮のサブ球場に姿を現し、みんながあいさつしたら「おう」って手を上げて言ってくれる。それがかっこいいんですよ(笑い)。たたずまいが他の選手と全然違うんだよねえ。

 福本さんは山田さんとはまた対照的なタイプ。同じ外野手だったし、よく飲みに連れていってもらいました。クセが強いメンバーの中、陽気なキャラクターで「暗いやつはダメなんやー」って(笑い)。暗いやつは大成しないって思ってる。40歳になっても体はすごかったけど、僕がライトを守っている時は肩も衰えて、センターからレフトに移っていました。守備位置が変わって見え方が違ってやりにくさがあったと思います。毎年のようにゴールデン・グラブを取っていた人が、レフトに移って守備が落ちていたもんね。

 コンバートって大変なんですよ。僕も一時期、レフトにコンバートされてたことがあったけど、野球が違う。瞬時にどっちに動けばいいか、わからない。プライベートでも技術的な難しい話はいっさいしない。引退されてすぐ打撃コーチになられ、僕はやりやすかったですよ。教え方は…正直、どの選手にも同じ教え方だった(笑い)。だから合う、合わないはあったと思いますけど、大事なのは選手がそれをどう自分で解釈するか。全部を真に受けるのではなく、自分の感覚を見つけることがプロですからね。

 レジェンドの2人とは2年だけでしたけど、いい勉強になりました。さすがに山田さんとは今は普通に話せますよ(笑い)。

 オリックスは91年から3年連続3位に終わり、土井正三監督が辞任。そして94年からは近鉄で指揮を執ってきた仰木彬さんが監督になられた。仰木さんの“日替わりオーダー”に最初はなじめなくて…。

 ☆ふじい・やすお 1962年7月7日、広島県福山市出身。泉州高(現近大泉州)から社会人・プリンスホテルを経て、86年のドラフト4位で阪急に入団。長距離砲としてブルーサンダー打線の一角を担った。オリックスでも95、96年の連覇に貢献。勝負強い打撃が持ち味で、通算満塁本塁打(14本)は歴代3位。代打満塁本塁打(4本)は日本記録。2002年に引退後はオリックス二軍打撃コーチ、11年からソフトバンクで一軍打撃コーチを務め、18年にオリックスに一軍打撃コーチとして復帰。今年から総合建設業「共栄組」に籍を置き、JSPORTSの解説、神戸中央リトルシニア、関西創価で指導している。

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