【藤井康雄連載コラム】オリックス元年、首から全身のバランスが崩れて…

2020年10月27日 11時00分

まさかのケガで打撃不振に陥った

【藤井康雄「勇者の魂」(9)】オリックス・ブルーウェーブ元年の1991年は5月までは順調でね。それが練習中に外野でノックを受けていた時、バックしながら後ろのフェンスにぶつかり、捕球した瞬間にドーンときた。おかしいな、くらいでその日は試合に出たんだけど、翌日に首が固まってまったく動かない。そこから打撃がおかしくなったんですよ。抹消されずに何試合か休んで治療したけど、左手までしびれてくるようになって…。7番頸椎が神経に当たって治しようがない。いろんな病院に行って引っ張ったり、注射したりしたけど、治らない。そのケガがその先もずっと影響することになるんです。

 ごまかしごまかし試合に出ても、打席でしっかり投手の方を向けず、軸ができなくて構えが決まらない。その年は2割2分2厘、21本塁打と成績を落としてしまいました。それまで成績が上がっていたのに、ケガをするということは、どこかに隙があったということ。そんな状態でも土井正三監督は抹消せずに使ってくれた。何とか動けるようにしてくれ、と期待してくれていたんです。だから僕の中では悪い監督ではないんです(笑い)。

 手がしびれ、翌年には両ヒザにまで影響が出るようになった。膝蓋腱炎といって体重がヒザに乗ると激痛が走り、試合にも出られなくなったんです。プロになって初めての登録抹消でした。首から全身のバランスが崩れ、イメージ通りの打撃ができない。今までの自分の体ではない。それまで順調に来て自信もついてきていたので、どこかで野球をなめていたのかもしれないです。球場が広くなって、西宮なら本塁打の当たりがフェンスを越えないいらだちも、ケガにつながったのかもしれない。

 リハビリを続けながら打撃復調の道を探り、翌93年は何とか足の痛みがなくなったんです。それでも首と手のしびれは消えていない。何とかトレーニングができるようになったことで28本塁打と結果を残し、ベストナインにも選ばれました。一方で三振がすごく増え、うまく反対方向にも打てていたのが引っ張りしかできなくなった。試行錯誤が続いていましたね。

 土井監督時代の3年間はずっと3位。今ならAクラスでいいということになるのかもしれないけど、優勝争いは全然していないし、監督とベテラン陣との溝もずっとありました。何かにつけて巨人の話ばかりするし、松永浩美さん、石嶺和彦さん、福良淳一さんなんかは合わなかったと思いますね。松永さんは土井さんとのこともあって92年オフに野田浩司とのトレードで阪神に移籍。みんなの士気がずっと上がらなかったように思います。僕もケガに苦しんでチームに迷惑をかけたと思うし、土井さんには申し訳なかったと思いますよ。

 次期監督は近鉄の監督をされていた仰木彬さん。チームは若手が台頭し、転換期を迎えました。

 ☆ふじい・やすお 1962年7月7日、広島県福山市出身。泉州高(現近大泉州)から社会人・プリンスホテルを経て、86年のドラフト4位で阪急に入団。長距離砲としてブルーサンダー打線の一角を担った。オリックスでも95、96年の連覇に貢献。勝負強い打撃が持ち味で、通算満塁本塁打(14本)は歴代3位。代打満塁本塁打(4本)は日本記録。2002年に引退後はオリックス二軍打撃コーチ、11年からソフトバンクで一軍打撃コーチを務め、18年にオリックスに一軍打撃コーチとして復帰。今年から総合建設業「共栄組」に籍を置き、JSPORTSの解説、神戸中央リトルシニア、関西創価で指導している。
    

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