【藤井康雄連載コラム】長嶋さんが新監督の話を断って土井さんに…

2020年10月23日 11時00分

巨人のやり方を導入しようとした土井監督だが…

【藤井康雄「勇者の魂」(8)】上田利治監督が勇退し、1991年からオリックスはブルーウェーブとなり、本拠地が西宮からグリーンスタジアム神戸に移りました。球場が広くなることが嫌でしたねえ。西宮が両翼91メートル、センター119メートル、神戸が両翼99メートル、センター122メートル。右中間、左中間が深いのでホームラン出ないじゃんっていう(笑い)。

 移りたいと思った選手はいなかったんじゃないかな。川崎、大阪、日生、藤井寺なんかでやっていたから、こけら落としで神戸でやった時、広いとしか思わなかった。守備もやりにくくて困りました(笑い)。僕や石嶺和彦さんとか、本塁打が減ってきっちり影響出ました。前年まで主砲だった門田博光さんも球場が広くなるからと言ってダイエーに行きましたからね。関西から離れたくないと言ってウチに来て、神戸に行くのが嫌で古巣に帰ってしまいました。

 ブルーウェーブっていうのも違和感あったし、次の監督の土井正三さんもどんな人なのかわからんし…。期待と不安が入り交じっていました。球団は最初、長嶋茂雄さん(巨人終身名誉監督)にオファーしたんですよ。神戸に移ってスターが欲しかったんだろうと思います。それで長嶋さんが断って土井さんを推薦したんですよ。兵庫・育英出身で、巨人のV9戦士で野球をよく知っているしということで…。

 なんで巨人なの?って思いましたよ。上田さんの時ってミーティングもキャンプの初めに1回やるだけだったのに土井さんは練習後に毎晩(笑い)。ありえないことでした。中身も「巨人では…」っていう話ばかりで、なんかあったら「ジャイアンツではこうしてきた」。ベテランはもちろん、選手から総スカンでしたよ(笑い)。阪急で育っている選手は阪急のスタイルがあるから「ここはオリックスや!」って。

 土井さんの巨人話はシーズン中もずっと続いていて、ミーティングじゃなくてもベンチで小言で言ったり、個人的に誰かに言ったり…。コーチも監督が巨人の話ばかりするから大変だったと思いますよ。特に松永浩美さんと土井さんが話しているのなんか見たことない。福良淳一さんは同じ二塁手だったんで守備の話はしていたかもしれません。監督というより守備コーチという感じでしたね。でも…チームに新しいものを取り入れるのって難しいことなのかなって思いますよね。

 門田さんが抜けて石嶺さんが4番で、僕は開幕2番という打順でしたけど、すぐ3番になりました。試合で使ってもらえたのはうれしかったですよ。でも選手の士気は上がらなかったし、僕も「西宮球場なら入っていたのに…」というショックな当たりがいくつもあった。石嶺さんとよく一緒に悔しい思いをしましたよ。そんな時、プロに入って初めてケガに見舞われ、苦しむことになります。

 ☆ふじい・やすお 1962年7月7日、広島県福山市出身。泉州高(現近大泉州)から社会人・プリンスホテルを経て、86年のドラフト4位で阪急に入団。長距離砲としてブルーサンダー打線の一角を担った。オリックスでも95、96年の連覇に貢献。勝負強い打撃が持ち味で、通算満塁本塁打(14本)は歴代3位。代打満塁本塁打(4本)は日本記録。2002年に引退後はオリックス二軍打撃コーチ、11年からソフトバンクで一軍打撃コーチを務め、18年にオリックスに一軍打撃コーチとして復帰。今年から総合建設業「共栄組」に籍を置き、JSPORTSの解説、神戸中央リトルシニア、関西創価で指導している。

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