鉄腕・稲尾を育んだ子供たちへのわらべうた

2020年10月25日 10時00分

西鉄・稲尾和久

【越智正典 ネット裏】西鉄のスカウト竹井清が別府出張の常宿青山町の赤銅御殿のお手伝いさんから「別府にもいいピッチャーがいます。緑丘高校のイナオという子です。獲って下さい」と聞いたのは昭和30年の初夏である。

「聞かんなあー」。話し込むと西鉄が大好きなのに感心。「庭から毎日練習見てます」。宿の下が別府球場。彼女がひょいと「南海が狙ってるそうです」。もし彼女が付け加えてなかったらどうなっていたか。

“イナオという子”が1年生だったその2年前、南海の投手江藤正(晴康、法政大、門司鉄道局、大洋漁業、南海、26年24勝最多勝)と服部武夫(四日市高、27年16勝)が泉都に治療にやって来た。江藤の同級生緑丘高校の首藤先生が「うちの練習を見てくれんか」。服部は力投投手だが、心やさしく「高橋」に移籍すると、試合前にアイスクリームを買って「また来てね」。川崎球場に来たこどもたちに配っていた。服部が江藤に「あのキャッチャーいけますね」。そのキャッチャーが稲尾だった。

 二人が稲尾をピッチャーにし投球術を教えた。竹井は父親が海の男と聞いて特級酒を両手に下げて家を訪れた。漁から帰って来たところである。城下かれいの季節である。人柄が謙虚な竹井が「イッパイやりたくて来ました」。二人はすぐにぴったり。呑むほどにおとうさんは神棚から為替が入っているホコリだらけの封筒を取り出し「一銭も使っておらん!」。南海が小遣いにと毎月送ってくるのだという。

「大阪は遠い。わしの舟では行けん。博多なら行けるばい」

 支度(契約)金50万円、月給3万5000円。31年の公式戦が始まる。スタッフがコントロールがいいのでバッティングピッチャーで長期遠征に連れて行くことに決めた。で、ローテーションの谷間につなぎ登板。4月12日、大映戦の後楽園球場のスコアボードは「稲生」。ちゃんと稲尾になったときには勝ち続け21勝6敗。新人王。西鉄は日本選手権で4勝2敗で巨人を破る。初の日本シリーズ制覇である。稲尾は全6試合に投げ3勝。堂々としていた。

 稲尾はよくねむった。先輩の話をまとめると、睡眠1が稲尾で2、3も稲尾、4に別当薫、5が藤田元司。放送局の夕方の番組に出演したときにタオルと歯ブラシをぶらさげて来て、本番5分前にスタジオで悠々と顔を洗っていた。

 のちのことになるが、マンションを建てたときは庭に睡眠部屋を造り、ここで眠っていた。

 稲尾夫人、律子さんは庭にタライと洗濯板。手でゴシゴシと洗濯物を洗っていた。洗濯機を使わなかった。庭に近所のこどもたちが遊びにくる。律子さんは心やさしく、よく出来たひとで、あっちへ行って…などとは決して言わなかった。騒いじゃダメよ…とも言わなかった。律子さんは言うのであった。
「みんなでお歌を歌いましょうね。<ここはどこの細道だ。天神様の細道だ>」。わらべうたが稲尾のねむりを深くした。あの鉄腕、あの連投は律子夫人の心配りゆえである。 

 =敬称略=

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