【藤井康雄連載コラム】夜遊び大好きだった松永さん、石嶺さん、ブーマー

2020年10月22日 11時00分

酒豪としても有名だった松永

【藤井康雄「勇者の魂」(7)】僕がブルーサンダーの中で結果を出すことができ、長く野球を続けられた理由の一つは、若手時代にコーチからいろいろ言われなかったことが大きいです。それで人生が変わっていたかもしれないですから。コーチに打ち方がどうとか、結果を出したから言われなかった。「プロのコーチが言ってるんだからそうしなきゃいけない」と思うでしょう。そこで間違った方向に行くというのが多い。そういう意味で早い時期に結果が出てよかったと思いますね。

 僕はプリンスホテルでしっかり社会人を経験していました。プロは自分で何かをつかまなきゃいけない世界。それがプロ入りする1~2年前に「打撃はこういうものか」というコツみたいなのがわかったんです。それでプロに入った時にボールに違和感がなく、どっちかというと「あ、こんなもんか」と…。一流投手を見ても対応できるぞって。高卒だったらプロのスピードにビックリってなるでしょ。あの桑田真澄でさえ「ありえない世界に入ったと思った」と言うじゃないですか。それだけ当時の社会人のレベルが高かったということと思うし、最初から気後れがなかった。

 自分のスイングをすれば飛距離を出せる打撃ができていた。レギュラーを張っている先輩よりも打撃練習でスタンドに入れる数も負けないし、それが調子のバロメーターでもありました。真っすぐのタイミングで変化球に対応するという打撃、速いボールに負けない。1989年が30本塁打、90年が37本塁打。ブルーサンダーのころはイメージ通りの打撃ができたと思います。

 当時のメンバーは夜遊びも大好き。酒豪の石嶺和彦さん、松永浩美さん、ブーマー・ウェルズとか、昔ながらの侍気質ですね。遠征中は門限が厳しくてマネジャーが怖かったんだけど、それをかいくぐって行く。宿舎で食事なんかせずにすぐに銀座、六本木に出かける。タニマチさんや女の子のいるところによく連れて行ってもらいましたよ。僕はあまり飲まないんだけど、朝までコースだったね。門田博光さん、福良淳一さんなんかは宿舎ですぐに麻雀でした。ブーマーなんか恐妻家と言われていたから遠征中は外国人同士で羽を伸ばしてね。

 いかにマネジャーの門限チェックをかいくぐって行くか。一、二軍の入れ替えがある時なんか、本人に直接伝えないといけないから夜中の2時、3時までエレベーターの前でマネジャーが待っていたりね(笑い)。女性関係のトラブルはなかったと思うけど、僕もまあ、そこそこもててたと思うよ(笑い)。

 オリックスは91年からブルーウェーブに生まれ変わり、本拠地がグリーンスタジアム神戸に移転。勇退した上田利治監督に代わって元巨人の土井正三さんがやってきた。なんで巨人? なんで土井さん? クビをかしげる声がチーム内に飛び交って…。

 ☆ふじい・やすお 1962年7月7日、広島県福山市出身。泉州高(現近大泉州)から社会人・プリンスホテルを経て、86年のドラフト4位で阪急に入団。長距離砲としてブルーサンダー打線の一角を担った。オリックスでも95、96年の連覇に貢献。勝負強い打撃が持ち味で、通算満塁本塁打(14本)は歴代3位。代打満塁本塁打(4本)は日本記録。2002年に引退後はオリックス二軍打撃コーチ、11年からソフトバンクで一軍打撃コーチを務め、18年にオリックスに一軍打撃コーチとして復帰。今年から総合建設業「共栄組」に籍を置き、JSPORTSの解説、神戸中央リトルシニア、関西創価で指導している。

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